「名もなき家事」に気づいた
今回のことを振り返ると、「病態を知ること」が大切だと感じます。私の中で心筋梗塞は、ドラマなどで見る「うっ!」と胸をかきむしって倒れる…というイメージがありました。でも実際は夫のように、数時間後に心停止するシビアな状況でも、立ち歩けて「気持ちが悪い」程度の症状から始まることがある。このことが世間にもっと広まれば、手遅れになる方が減るのではないかと思うのです。
また、夫の健康診断の結果や血縁者の死因をざっと頭に入れて、「弱点」を知っておいたことも良かったと思います。夫は毎年会社で健診を受けていますが、結果を見ることなく、そこらにポーンと放り出している。それに私が目を通し、心臓が弱点だな、高血圧だな、ということを頭の片隅に入れていました。一方夫は結果を受けて生活を改めたりする人ではないので、健診は無駄のように見えますが、私の中で、この人に何かあるとしたら心臓だなと予測が立っていたことが今回は役に立ったんです。
一命はとりとめたものの、今回夫が心筋梗塞に倒れたことで、「夫がいきなり死ぬ」「夫のいない世界を自分が引き受ける」という覚悟ができたような気がします。そして、入院中に娘と2人の生活になったことで「父ちゃん、こんなこともやってくれていたんだなぁ」という気づきもありました。ゴミ出しやら掃除、洗濯にまつわる細々としたこと、いわゆる「名もなき家事」を何も言わずにしてくれていたんだな、と。
夫はとにかく娘が大好き。学校のプリントに目を通し、いつが保護者会で、いつが参観日で、といったスケジュールを把握し、出席してくれていたのも夫でした。
何よりも困るな、と思ったのは、娘のお父さんがいなくなること。私が気軽に出張できるのも、娘が習い事で方々に行けるのも、夫がいてくれるから。そういう物理的なこともさることながら、娘も父親のことが大好きなので、その喪失はとても大きいものだろうと感じました。同じ年齢だった自分のことを振り返ると、私はこんなにも父のことを好きではなかった。そういう意味で、私は夫のことをとても尊敬しています。