「母が私におかしな対抗意識を燃やしたのも、常に何かで勝っていないと自分の存在価値がなくなるという場所で闘ってきたせいかもしれません」(桜木さん)

小学校3年生で、父の代わりに

吉永 ところが父は結核で寝ついてしまい、いよいよ危ないと自覚した頃から、「俺が死んだらお母さんの面倒をみてくれ」と私に言うようになったんです。母に対しても、「あの子を俺と思って頼れ」と。

桜木 小学3年生の娘に……。それはあまりに酷だと思う。

吉永 実際、父が死んだ瞬間にゴングが鳴ったと思ったもの。正月2日で病院も役場も開いていないから、「どうしよう」ってオロオロしながら母が私に聞くわけですよ。ああ、私は父の代わりになったんだと覚悟を決めました。

桜木 その後は、母と娘の関係ではなくなったのですか?

吉永 それが、時々母親の顔に豹変して「お前は優しくない」とかガンガン攻撃してくるから、子どもとしては非常に混乱する。攻撃が繰り返されると、つねに母の顔色をうかがい、機嫌よくしてもらうためには何でもします、プライドも魂も捨てます、って子どもが出来上がるんです。

桜木 それは、いつ襲ってくるかわからないんですね。

吉永 母と娘は同性ということもあり、親がどういう人生を歩んだかによって子どもとの関係も変わってくるでしょう。私の母は最初の子をめぐる経験から、世間が「恐ろしい」という思いと「見返してやりたい」という感情を、分裂したまま抱えていました。それが私に対する複雑な接し方にも表れたんじゃないかと思います。

桜木 母が私におかしな対抗意識を燃やしたのも、常に何かで勝っていないと自分の存在価値がなくなるという場所で闘ってきたせいかもしれません。でもそれは、私も娘を育てて、娘が大人になる過程で徐々にわかってきたことなんですが。

吉永 母の娘であり、娘の母だから見えてくるものも多いのでは。

桜木 母が80代、娘が20代、私が50代でちょうど真ん中なんですよ。先日娘と話していて面白かったのは、彼女の生理が始まった時、私は彼女をハグして、「おめでとう! 健康ってことだよ」と背中をバンバン叩いたのですって。

彼女いわく、「娘の初潮をめぐる親の反応として、お母さんの話がいちばんウケる」と(笑)。娘たちはそうやって親に点数をつけて観察しているんだな、気を抜けないなと思う半面、私は娘の女性としての成長を素直に喜べているんだな、と少しホッとしました。