「そんなこと、ありえませんよ。父は一年後だったかに離婚の話し合いで母に会ってるんですけど、とても溌剌(はつらつ)としていたそうです。第二の人生を満喫していると言って楽しそうにしていたというひとが自死なんて、ね」

 直接聞いたわけではない。父が祖母に零(こぼ)しているのを、盗み聞いたのだ。『派手な化粧に下品な服を着て、別人みたいだったよ。一緒にいて、居心地が悪いったらなかった。向こうは暢気(のんき)にしていたけど』

 父が苦々しく言い、祖母は憤慨したように唸った。『慰謝料に養育費、ちゃんと払わせるんだよ。そして、二度と千鶴(ちづる)には会わせないって言っただろうね。あたしの目が黒いうちは、絶対に会わせるもんですか』

 物陰で、わたしは息を殺して父の返事を待った。少しの間を置いて、父が物憂(ものう)げなため息をつく。
『元よりそのつもりだ、ってさ』
 祖母が、カエルがつぶれたような声を上げた。
『それに、私の人生は私のもの、とかなんとか言ってたよ』
『何だねその言い草は。まるであたしたちがあのひとに不自由な思いをさせていたみたいじゃないか!』
 祖母の激高の声を聞きながら、その場にへたりこんだ。母は、わたしのことなどどうでもいいのだ。あんな別れ方をしておいて、一言の説明もないままで、だからきっと何か大変な事情があるのだと信じていた。何らかの問題があって、それが解決したら、帰って来るか迎えに来てくれるのだと、願っていた。
 しかしそれは、どうやら叶わないらしい。母は、わたしとの繋がりが切れることを、受け入れた。わたしは、母に見捨てられたのだ。
「ははあ。しかし、不思議ですよね。お母様はどうして、家を出ていく前の最後の一ヶ月、あなたと旅に出たんだろう」
「分かりません。出ていったのは、一卵性母娘(おやこ)って言われた実母が亡くなったことがショックだったからじゃないかって言われてますけど」
 この夏休みの一年ほど前に、わたしの母方の祖母――母からすると実母が病で亡くなっていた。母は実母ととても仲が良かったから、その死がきっかけではないかと、母を知るひとたちは口々に言った。後追い自殺をするのではと危惧するひともいたようだけれど、母はきちんと第二の人生を楽しんでいたわけで、だから出奔(しゅっぽん)の理由は分からない。
 一度はわたしを連れて出たことに関しては、祖母は、『気紛(まぐ)れの道連れ』だと言った。気の弱いひとだったからね、家を出ようとしたはいいけれど、ひとりじゃ怖いもんだから千鶴を道連れにしたのよ。でも自分のことだけで手いっぱいで、千鶴の面倒まで見られなくなったってところでしょ。苦労をかけた覚えはないし、あたしはいい姑(しゅうとめ)だったはずなのに、なんの恨うらみがあったっていうの。
「お母様、いまはどうなさってるんでしょう」
「さあ? まあ、暢気に生きているんじゃないですかね」
 母が芳野の家に恨みがあったかどうかは分からないけれど、自分が逃げ出した元婚家の現状を知ったらどう思うだろう。