爪切りと産後うつ――亜矢子
自分たちだけで子育てを完璧に行うのは困難だし、無理があります。誠さんと私だけでは、どうしてもできないこともあります。そのために、親や親戚をはじめ、友人知人、周囲の方々にも可能な範囲でサポートをお願いしました。
たとえば熱が出たとき、視覚障害者用の体温計で測ることはできても、私も誠さんも赤ちゃんの爪を切ることはできません。赤ちゃんの手は驚くほど小さいので、場所を間違えると本当に手を切ってしまいます。
目黒のURに住んでいた頃、こころの爪切りを隣の部屋の女性にお願いしたら、ありがたいことに二つ返事で引き受けてくださいました。また、同じ階の違う部屋の女性は、こころを背負った私をよく近くの公園に散歩に連れて行ってくれました。
こころの誕生から1年4ヵ月後、2012年7月、前回の里帰り出産のときと同じ沼津の病院で、私はふたり目の赤ちゃん、響を産みました。
退院して実家にもどり、両親の元で赤ちゃんの世話をしていると、不思議なことが起こりました。なぜか突然、こころが私によりつかなくなったのです。
その頃、私はというと眠れない、食べられない……。今にして思えば、典型的な産後うつでしたが、どういうわけか赤ちゃんの響が怖くなり、手で触れられなくなってしまいました。しばらく経ったら、私はふたりの子どもとともに東京に帰らなくてはなりません。
こころのときは、早く誠さんのいる東京へ帰りたい、一緒に住みたいと思いましたが、今は子育ての不安のほうが大きく、心がおしつぶされそうになっていました。結局、父の運転する車で、心療内科のあるクリニックに行きました。
「先生、私、母乳を飲ませることはもうあきらめました。断乳してもいいので、薬を出してください」
涙を流しながら訴える私に、先生はやさしく言いました。
「産後のうつで、会社員だったら休職を勧めるぐらいのレベルです」と。
「薬を飲む以外に、何か心がけることがありますか」
ふたりの母親になった今、早く元気になりたいと心から思い、すがりつくように尋ねると、先生は穏やかな声でこう言いました。
「お母さん、あまり力まないことです。水に漂う木の葉のように、自然の流れに身を任せてください」
今振り返っても、響が生まれて2ヵ月後あたりが精神的に最もつらかったように思います。