小学生のとき盲学校で出会い、二十数年後に再会、結婚を決断。結婚式で盲導犬のセロシアと

視力が失われていく中で――誠

1977年、僕は天城山をのぞむ伊豆半島の中央部に位置する、静岡県の 伊豆市(当時は中伊豆町)で生まれました。生後3ヵ月頃、目の焦点が定まらずに瞳が揺れ動き、瞳が次第に大きくなっていったそうです。両親が外に連れ出すと、しきりにまぶしがり、日光を 極端に嫌ったといいます。心配になった両親が僕を病院に連れて行くと、医師から思いもよらない病 名を聞かされました。

先天性緑内障。

新生児の2万人から3万人に1人くらいに見られる遺伝性の病気で、眼圧が異常に高まり視神経が圧迫されることで視力が失われていく。完治は難しく、成人する前に視力を失う確率が高い重い疾患でした。よりによって、息子がなぜ?誕生の喜びもつかの間、両親はいきなり真っ暗闇の世界に突き落とされた ようなショックを受けたのではと思います。

「今は目が見えているけれど、いつか目が見えなくなる日が来る」「でも、障害は特別なことじゃない。普通の生活をしていこう」 両親は、そんな約束を交わしたと言います。

「誠、おまえの目は今は見えているけれども、将来は見えなくなるかもしれない」

小学校に入学した頃から、母にたびたびこう言われて育ちました。 また、お医者さんからも、同じことを言われました。

そう言われても、僕としては「また、言ってるよ」と、あまり気にとめませんでした。というのも、現に見えていたし、本も読める。サッカーもやれる。将来、目が見えなくなるなんて、悪い冗談ではと……。

しかし、小学校3年頃になると、視界に白い霧がかかるようになりました。 見える見えないの具合は、その日の眼圧の変化によって異なります。

その頃、漢字の書き取りの宿題が出ると僕は、父に机に電気スタンドを2台つけてもらって、ものすごい倍率のルーペを使って、宿題をすませていました。

小学校5年生の頃だったと思いますが、学校の図書館で借りて、そのルーペを使って読んだのが『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』でした。 点字を知らなくても、本を読めたのはこの頃までで、この本が普通の文字で僕が読んだ最後の本となりました。

視力が衰えたために机のヘリに頭をぶつけたり、昨日は見えていたはずの 看板が今日は見えなくなったり、昨日はぶつからなかった電信柱に、今日は ぶつかるなんていう始末です。

同級生の中で、どうして自分だけ目が見えなくなってしまったのか。 理不尽な運命に、僕の怒りや哀しみは内へ内へと向かい、自分の心に針を突き刺していました。

突然、目が見えなくなってしまった僕を、何もできなくなってしまった僕 を、友だちはどんな目で見てるのだろう?

やたら周りの目が気になり、あんなこともできないのか、こんなこともできないのかって笑われてるんじゃないか。バカにされてるんじゃないか。かわいそうになんて同情されてるんじゃないか。自分だけ、周りのみんなよりも劣った存在になってしまったように感じました。

絶望し、極度の自己嫌悪に陥り、それまで仲がよかった友だちとも距離ができてしまい、「もう、どこでもいいから、誰も知らないところへ行ってしまいたい」と思うようになりました。


――幼馴染だった亜矢子さんと誠さんは進学で離ればなれに。その後音楽がきっかけで再会し、お互いを支え合う存在となる。その後誠さんは司法試験に合格、弁護士に。亜矢子さんは鍼灸など「手に職を」というアドバイスを受けるも、夢をあきらめずに歌手になった。お互いに結婚を決断するまでには迷いもあり、全盲同士での結婚に関して不安視する周囲の声もあった。困難を乗り越え結ばれた2人は、子どもを持つという大きな選択をする。長女のこころちゃんと長男の響くんは、ともに目に障害を持たずに生まれてきた。