これからはむしろゆっくりがいい

これからの人生はゆっくりでいい、むしろゆっくりがいいんだ。この感覚は、本を書くことで得た大きな効能だったと思います。現代社会はスピード重視ですからね、杖をついてスローに歩いていると怖いと感じることが多い。

退院した日に感じた「オレって、社会の異物じゃん」という強烈な感覚は、今も忘れることができません。病院にいれば、周りはみんな病を抱えているか、そのことを専門に考える人たちばかり。

でも一歩病院の外に出れば、手すりはない、段差はある、周りはこちらの事情など知らない相手ばかり。そのことでうつになってしまう人も多いと聞きますが、私がなんとか気持ちを保ってこられたのは、社会の異物としての自分を受け入れ、そして自らの老いを受け入れ、この体で生きていくんだと覚悟できたからなのでしょう。

定年のない俳優という仕事は、その気になれば一生現役でいられるので、老いるという感覚が希薄になりがちです。でも私は、わが身に起きた老いをそのまま画面に出すしかない、と決めました。

復帰後、はじめて出演したドラマは、病に倒れたあとリハビリをして、また海へ出て行こうとする漁師の役でした。ここで「すごいですねシオミさん、健常者とちっとも変わらない動き」と言われるのは、私にとって誉め言葉ではない。むしろ「シオミさんのぎくしゃくした歩きを、視聴者に見せたい」というオファーのほうが、「よーし、しっかり撮ってもらおうじゃないか」という気持ちになります。

映像作品のスタジオは広いから、電動車椅子を使ったほうが、移動も速いし安全かもしれません。でも私は退院するとき、「これからは杖をついて生活する」と決めました。ゆっくり歩くことが、すなわち私という人間なのだし、前方を塞ぐ集団を「はい、どいたどいた」とかき分けて進むことをどこか楽しんでもいる(笑)。

足の悪い老人という個性を前面に出しつつ、「オレの好きなようにやらせろ」と堂々と言おうと思えるようになったのも、老いの効能の一つじゃないでしょうか。