「一所懸命生きてきた」と思えることは美しい

以前の住まいは東京・銀座に近く、リハビリを兼ねて、よく妻にタクシーでデパートへ連れていってもらいました。デパートの外のベンチに座ってぼんやり道行く人を見ていると、完璧に着飾って颯爽と車から降りてくる人も格好いいけれど、キャリーバッグをペットの犬のように連れて、ゆっくりとした足取りで歩くおばあさんの姿もまた魅力的だな、と感じるようになっていて、自分でも面白いと思ったものです。

器の欠けやヒビを漆でつなぎ、金粉などを蒔く金継ぎという手法がありますね。病気や老いでどこか傷ついた部分を抱えていても、それを自分なりにコントロールしながら生きる人を私は美しいと思う。

私たち団塊の世代がまとめて高齢者の仲間入りをするなか、やれ老人には生産性がないとか、老人にかかる費用のどこをどう削ろうなんて話が取り沙汰されました。

でもさ、老人は、急に老人になったわけじゃない。それぞれに若いときがあり、職場や家庭で懸命に働いた時代があり、一人一人にかけがえのない物語があったはずです。

「私は一所懸命生きてきた」「楽しい人生だったな」と思えることは、ロマンチックで美しいことじゃないですか。若い桜が満開に咲くなか、年月を重ねた老木が土にどっしりと根差しつつ天に高く枝を伸ばすような美しさが、きっと老いた人一人一人にあると私は思う。

子どもが独立したり夫と死別したりして、自分の役割がなくなったと感じる主婦、仕事を退職した会社員……。老いには寂しさがつきまといます。しかし人間、何かしてなきゃいけないというのも一つの枷ですよ。だって私からすれば、五体満足で健康ならそれで十分じゃないですか、としか言えないもの。

生きているって、それだけで素晴らしいことです。朝起きて窓を開け、風や木々のざわめきを感じたり。日が暮れたら夕焼けを眺めたり。自分の人生や亡くなった人たちの思い出を書き連ねてみたり、大切な人に短い手紙を書いてみたり。そういうことも自分の「仕事」だと考えられるようになりました。