「幸い私たちには、時間がたっぷりある。命が尽きるまで、ほかの誰でもない自分というものを発見していくことも、老いの楽しみなのだろうと思うのです。」

今は別の山登りをしているのだと

この夏、50年以上住んだ東京を離れ、横浜にある妻の実家を改装して移り住みました。いざ離れてみると、東京はノイズが多くてうるさかったような気がする。周囲に人が集まるぶん、つい誰かと比べて落ち込んだり悔しがったりしてしまうからでしょうか。

もはや、人は人、自分は自分です。先日も昔の仲間が登山をしたといって写真を送ってきましたが、もう傷ついたりしなかった。かつて私も登山が好きだったけれど、「今は別の山登りをしているんだ」と思えたんですよ。

そうして何者でもない一人の個人として生きるのは、簡単なことではありません。表は既製服でも、裏地は手縫いで好みの生地に替えたり、ししゅうを施したりするようなもの、とでもいうのかな。手間がかかりますし、いい本を読んだり、映画を観たり、きれいな景色を眺める心の余裕が必要になってくるでしょう。

でも幸い私たちには、時間がたっぷりある。命が尽きるまで、ほかの誰でもない自分というものを発見していくことも、老いの楽しみなのだろうと思うのです。

 

今度は自分が誰かの役に立ちたい

手足に障害を抱えるということは、周囲に助けられて生きることを意味します。病気になるまでの私は、「人に迷惑をかけてはいけない」と頑なに考えているようなところがありました。でも今は「あの人なら大丈夫かもしれない」という勘が働いて(笑)、上手に寄りかかることも覚えたんです。

リハビリの病院で思い切って声をかけてから、会うたびに「グッドチャレンジだね!」「ガンバレ!」と励ましてくれた長嶋茂雄さん。こんな身体になった私に、余計なことは何も聞かず、言わず、役を任せてくれた北野武監督。医療関係者や介護スタッフはもちろん、私の身体の状態を知りながら仕事を依頼してくれた人、一緒に作品を作ってくれた人……多くの人の助けがあって、今の私がいる。本当に感謝しています。