「不思議なことに、最近、ふっと存在を近くに感じるようなときがあるんです。〈この仕事どうしようかな〉とか考えていると〈やったほうがいいよ〉とか〈断ったほうがいい〉とか声が聞こえてくるような気がする」(松岡慎太郎さん)

「談志の話をしない日は一日もないよ」

2011年4月に活動を休止してからは、「週刊現代」の連載を最後まで続けていました。週刊のペースについていけるか心配していましたが、むしろ原稿がどんどんたまってしまうほど旺盛に書いていました。時事放談ですから、日がたつと古くなってしまう。掲載が間に合わなくて慌てたくらいでしたが、それが結果的に良かったんです。声が出なくなってテレビもラジオも出られないなか、連載だけは続いていたので、あまり世間の皆さまにご心配をおかけしないですみました。

さすがに最後は立てなくなって、座れなくなって、寝たきりになって、字も書けなくなりました。でも、たまっていた原稿のなかから、編集長と相談して「古い話で悪いけど」なんてひと言入れさせてもらって。亡くなったあとにも一回、掲載したくらいです。連載原稿のほかにも、最後まで、色紙や短冊を書いていました。そういう意味では、書くことに救われた晩年だったと思います。

2011年11月に亡くなってから10年がたちました。亡くなった直後は一日一日が重苦しくて、長くて。1カ月後に「お別れ会」をやったときには「まだ1カ月か」と思いました。それからだんだん時間が早くたつようになって、気がつけば10年。喪失感はずっとあるのですが、一門の皆もいますし、毒蝮さんなんかは「談志の話をしない日は一日もないよ」と言ってくださるので、寂しさはあまりありません。皆さんに感謝しています。

不思議なことに、最近、ふっと存在を近くに感じるようなときがあるんです。「この仕事どうしようかな」とか考えていると「やったほうがいいよ」とか「断ったほうがいい」とか声が聞こえてくるような気がする。父はもういないんだから、私も好き勝手にやればいいのに、下手なことはできないですね(笑)。それでも、今にいたるまで談志に関わる仕事を続けてこられて、まだ皆さんも談志を覚えていてくださる。ありがたいと思いますし、父も喜んでくれているのではないかと思います。

※本記事は『作家と家元』(立川談志・著。中公文庫)の巻末インタビューを再編集したものです。

●立川談志(たてかわ・だんし)
1936年東京生まれ。52年、高校を中退して五代目柳家小さんに入門。芸名小よし、小ゑんを経て、63年に真打昇進、七代目立川談志を襲名。71年、参議院議員に当選、沖縄開発庁政務次官等を務める。83年、落語協会を脱退し、落語立川流を創設、家元となる。著書に『現代落語論』『談志楽屋噺』『新釈落語咄』など多数。2011年没。