「あの石原が傘一本で待っててくれた」
石原慎太郎さんとは「戦友」「悪友」という感じで長くお付き合いいただきました。私も一緒にお会いすることがありましたが「談志、そんなんじゃダメだろ」って口では言いながら、表情はとても優しくて。
参議院選に出たときも、石原さんが後ろ盾になってくれました。
晩年のころ、体調が悪くて落ち込んでいるとき、石原さんが「俺が治してやる」と言って気功師を紹介してくださったことがあったんですよ。急遽、母と姉がタクシーに乗せて行ったら、雨のなか、石原さんが一人で傘をさして建物の外で待ってくれていたんです。残念ながら気功はあまり効果がなかったようでしたが、「あの石原が傘一本で待っててくれた」って、むしろその気持ちが嬉しかったみたいですね。
長いこと、私を「慎太郎」と名付けたのは石原さんを呼び捨てにできるからだと言っていて、私もそれを信じていました。大人になってから「陸援隊の中岡慎太郎からとったんだ」と明かされて、なあんだと思いましたよ(笑)。
亡くなってから一カ月後に開いた「お別れの会」では、石原さんに弔辞をお願いしました。