イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。「35歳を過ぎたら好きなことより得意なこと」との持論をお持ちのスーさん。しかし圧倒的不得手な「好き」を仕事にする若者に会った際、ある疑問が沸いてきたそうでーー。(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

好きと得意の分岐点

中年になってからの仕事に関する持論は、「35歳を過ぎたら好きなことより得意なこと」だ。

「好きを仕事にする」は、私が若い頃から尊ばれてきた価値観で、いまでも多くの人が口にする。

好きの追求を悪だとは思わないが、生活するためのお金に換えるとなると、合理的とは言えない場合もある。「好きを仕事に」は、ある種の呪いの言葉だ。

「仕事にやり甲斐を感じられない」という言葉もよく耳にする。やり甲斐とはなにを指すのか。達成感や充足感だろうか。それらは、好きなことに携わらなくとも満たされるのではないか。得意なことでも満たせるのではないか。そもそも、仕事にやり甲斐は必要か。

私自身、好きを仕事にはしていない。こう言ってはなんだが、執筆業もラジオ業も、特に好きなことだと意識したことはなかった。どちらも他人が見つけてくれた「ジェーン・スーの得意そうなこと」だ。やってみたら手ごたえがあったので、続けている。

若い頃、私はマーケッターになりたかった。マーケティングとは、市場のニーズに応えた商品やサービスに価値をつけ、必要としている人たちに届ける仕事だ。

マーケッターにはデータを読み込む能力とセンスが必要で、会社員を続けていたら従事はできたかもしれないが、いまほど手ごたえのある成果を出せたかはわからない。才能があったとも思えない。かなり苦労したであろうことは、自分の性格を考えると容易に想像できる。

まさか、友達と話すように自分について露悪的に書いたりしゃべったりすることが仕事になるなんて、始めるまでは想像もつかなかった。好きを仕事として追求しなくて本当によかった。