衣装を着て稽古中。とても真剣な表情だ

70代未経験者が挑戦していることに衝撃を受け

小春さんの人生は、なかなか波瀾万丈だ。小学5年生の時に実母を亡くし、父親の再婚相手と折り合いが悪かったことから高校卒業と同時に姉と実家を出る。

工場や飲食店のアルバイトを転々としながら生活していたが、「30歳を過ぎた頃に、このまま一人で手に職もなく生きていくのはさすがにまずいと思って。当時ちょうど、子育てを終えた主婦が中国語を学んで通訳ガイドの資格を取ったという本を読んで、『自分も中国語ならできるかも』と安易に思ってしまったんです(笑)」。

専門学校で猛勉強の後、学校の先生の勧めで北京大学に留学。帰国後は中国語を教える非常勤の仕事についたが、「留学先で学生生活の楽しさを知り、日本でも大学に通ってみたくなりました」。そこで社会人入試枠を使い38歳で4年制大学へ入学。さらに大学院にも進んだ。

研究生活は充実していたが、「奨学金はフルにもらったしアルバイトも掛け持ちしたけれど、貯金が底をついてしまって。お風呂もない激安のアパートに暮らすのはさすがに限界。40代半ばから就職先を探しました」。

ところが教師として働き始めた日本語学校は、生徒たちが若い先生を希望しているとの理由から、1年でリストラに遭う。これからどうしようと落ち込んでいた時、新聞の小さな求人広告で見つけたのが、中国人留学生が多く在籍する大学の事務職だった。

それから定年までを大学の正職員として過ごし、「その間には50歳で初めての結婚もしました(笑)」という小春さん。激動の日々が一段落し、人生のセカンドステージで出合ったのが、演劇というまったく新しい世界だったのだ。

小さい頃から舞台を観るのは大好き。中高生時代は少ないおこづかいをやりくりしつつ、情報誌の『ぴあ』でこれぞと思うバレエや演劇の公演を探して出かけていたという。「自分が演じる側に立つなど、カケラも考えたことはありません。舞台に立てるのは特別な才能があって、長年の厳しい訓練を受けた人たちだけ。そう頑なに信じていましたから」。

しかし定年退職を目前に控えたある日、演出家の蜷川幸雄さんが演技未経験の中高年を集めて結成した「さいたまゴールドシアター」に、友人の友人が70代で参加していたことを知り、小春さんは衝撃を受ける。そうした劇団はほかにもあるのかと調べ始め、偶然見つけたのが「かんじゅく座」の公演だった。

「それが本当に面白くて。もちろん商業演劇とは違って素人っぽい演技ですが、皆さんとても楽しそうなのが印象的でした。それに、周りがほとんどお芝居未経験者なら私にだってできるかもと、またしても安易に思ってしまったんです(笑)」。