真珠湾で日本軍の爆撃を受け、沈没する戦艦アリゾナ

 

1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まりました。太平洋戦争開戦から、今年で80年。当時13歳だった歌人の馬場あき子さんは、どんな思いでその知らせを受け止めたのでしょうか――。太平洋戦争開戦時20歳未満だった 27 人の女性たちによる、戦時下の日常を綴ったエッセイ集『少女たちの戦争』(中央公論新社編)から、馬場あき子さんの一篇「戦争」をお届けします。

テストの途中に校内放送が

太平洋戦争がはじまったのは13歳の年だった。早生まれだったから、今で言えば中学2年の12月である。ちょうど2学期の期末考査の最中で、数学のテストの日の朝だった。私はこの課目がまるで苦手だったので、前の晩は友人の家に行って教えてもらい、帰ってから机に向って、その夜は徹夜したので新聞などは見るゆとりもなく学校へ出た。

その頃は12月といえば霜がきびしく、徹夜の貧血ぎみの体調には殊にも寒さが身にこたえる朝だった。数学の問題は相変らずチンプンカンプンのものばかりで、小さな問題の幾つかを拾ってやっと点数をかせぐくらいの出来であったが、テストの途中で臨時の校内放送が入り、テストはそのままにして緊急に校庭に集まるようにとの事だった。

少しく予感していた生徒もいたようだが、私などは五里霧中で、一体何ごとが起こったのかという不安と、好奇心と、何より劣悪な成績が幾分ゆるされるのではないかという期待をないまぜた思いで校庭に急いだ。

学校の経営者であり、実質的な指導者だったのは人見東明という明治の自然主義の詩人で、こよなく女性文化への理想を美しく描いていた人だったから、アメリカと戦争がはじまったという興奮をかくしきれず、頬をまっかに紅潮させながら、重大の時が来てしまったことを、まるで悲痛な檄のような調子で語った。