言ってはならないことだった

小学校の4年の時以来、戦争には馴れっ子になっていたが、相手がアメリカであるのにはさすがに驚いた。試験用紙はそのまま集められたので、大問題を解きかけだった人と、小問題をやっと拾い終った私との差はあまりなく、私などは落第点をまぬかれ、大いに助かったという一面をもっていたので、この日のことは今も鮮明に記憶に残っている。

『少女たちの戦争』中央公論新社刊

 

 

私はテストがあっけなく終ってしまったあと、友人と二人で教材室に何かを片づけに立寄った。そして、床上に埃をかむっていた大きな地球儀を見つけた。二人はどちらからともなく地球儀に近より、だまってゆっくりとそれを廻して、アジア大陸の小さな縁飾りの一つでしかないような朱色の日本をながめ、ふと「だいじょうぶなのだろうか」という不安にとらえられた。そして、だまって大きな地球儀を廻し、海の彼方に広がる巨大なアメリカ大陸を眺め、しばらく眺めて教材室を出た。

誰にでもわかる対比の恐ろしさだったが、それは言ってはならないことであるのもよく知っていた。それが神国の少国民のあるべき姿で、だまって誠心誠意、国の方針に従って励むことだけが許されている道だったから。

それから何日かのち、真珠湾に散った9人の軍神たちの写真が新聞の一面を飾った。私たちの兄の年齢に当るような人々だった。それをみつめながら、暗い未来が広がっているような気分になった。私は理科の時間に、担当の老教師が、ふいに、ぽつりと言った言葉を思い出していた。

「私の子供は二人とも戦争で死にました。それで先日は靖国神社に遺族として招かれてお参りしてきたんです」と。私たち少女はこの老教師を何かにつけて侮っていたのだったが、この言葉は少女たちの心をいたく刺戟した。「あの先生にはもう子供がいないのだ」ということが、深い同情と感傷を誘ったからである。

しかし、太平洋戦争がはじまってからは、もう、そうした感傷的な物思いをさせる時間は残されてはいなかった。アメリカの陸軍機が東京を初空襲したのはそれから数ヵ月しかたたぬ翌年の4月のことであった。

 

※本稿は、中央公論新社編『少女たちの戦争』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
漢数字の表記を洋数字に変更し、見出しは読みやすさのため、編集部で新たに加えています。
 

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