葉山にある堀口大學さんの自宅に2年通って書いた本が、関さんのエッセイストとしての出発点に(写真提供:関さん)

導いてくれた両親と兄

――どんな大物の前でも、あがった経験はないという。その理由を、「子どもの頃から大人にかわいがられて育ったからかもしれない」と本人は分析する。

私は東京の下町、本所吾妻橋の商家の娘として生まれました。当時の習いにしたがって、6歳の6月6日から日本舞踊やお琴、三味線などのお稽古を始め、子どもの頃から親に歌舞伎や文楽に連れて行かれました。私の両親は「芝居はいい席で観るのがいい」という主義でしたので、子どもの私も、いつも花道脇など役者が間近に見える席。戦前、十五代目市村羽左衛門の舞台を父の膝の上で観たことも、よく覚えています。

十五代羽左衛門は、日本人とフランス系アメリカ人のハーフで、その美貌から「花の橘屋」と呼ばれた役者。『忠臣蔵』の勘平があまりに美しいので夢中で観ていたら、父が「あの人はこれから切腹して死ぬんだよ。怖かったら反対向いておいで」。それで私はなおのこと真剣に羽左衛門を観ることに。

やがて、痛みこらえる勘平の足の親指が、私の目の前でぎゅっとなっていくのをよく覚えています。羽左衛門は終戦の年に亡くなっていますが、もし仮に私が羽左衛門に会えて、そのことを言ったとしたら、快くインタビューを受けてくれたと思いますね。

現代演劇やオペラ、クラシックのコンサート、美術展などによく連れて行ってくれたのは、10歳上の兄です。兄は私が小さい頃から妹を〈教育〉するのが面白くてしかたなかったらしく、さまざまな文学作品を与えてくれて。

『銀座で逢ったひと』に登場する加藤治子さんの舞台を初めて観たのも、兄に連れて行かれた文学座の公演で、確か中学生の頃。演目はサルトルの『恭しき娼婦』でしたけど、サルトルなんて今でもさっぱり理解できません。(笑)