幸せな思い出だけを覚えておく

振り返ると、両親と兄がいてくれたおかげで、今の私がいるわけです。その兄は残念ながら、51歳で早世しました。いつか兄のことも書きたいと思っていましたが、『銀座百点』の連載の最終回で書くことができました。たぶん、兄の魂はいつも私と共にあるのでしょう。今でもふと、兄が一緒に舞台を観ているような気がすることがあります。

『銀座で逢ったひと』(著:関容子/中央公論新社)

ずいぶん長く生きてきましたが、「いいなぁ」「素敵だな」と思える瞬間をたくさん覚えているから、私はいつも幸せに満ちています。もちろん、生きていれば、嫌なことにもたまに遭遇するものです。でも私は、そういう記憶はすべてサラサラと流してしまいます。

そして、人が優しくしてくれたことや、私の心が通じた瞬間など、幸せだった思い出だけを心の小箱にたくさん貯めているのです。そしてエッセイに書くとなると、余計鮮明にそうした瞬間のことを思い出すので、幸福感が心から湧いてくる。だから私は、寂しいとか孤独だとか思ったことがありません。

私の場合、たまたま著名人と多く出逢い、その方々との思い出を書いています。有名人に限らず、誰かと出逢い、こういうふうに優しくしてもらった。あの時、幸せだったという記憶を噛みしめれば、年を重ねてからも幸せな時間を過ごせるのではないでしょうか。

画家のマリー・ローランサンは近眼だったそうで、だから夢見るような抒情的な絵を描いたとも言われています。写実的にシワやシミまで描く絵描きもいるかもしれませんが、私はこれからもマリー・ローランサンのように、人間のいいところだけ見つめて、きれいな色で描き続けたいと思います。