会うたびにうつくしくなった
出版記念の会のアルバムがある。よく似合う着物姿の瀬戸内さんの姿もある。翌1973年の出家を予想させるかげりはない。明るい。
瀬戸内さんは明るくて優雅だが、がむしゃらの人、われから選んだ人生に後悔のない人だった。知り合って60年、会うたびにうつくしくなった。
妻子ある作家・小田仁二郎氏との同棲の清算を描いた作品『夏の終り』は、彼女の大きな転機となった。この時期、わたしは編集者として「『妻の座なき妻』との訣別」を書いてもらっている(『婦人公論』62年3月号)。いわば「手記」である。
雑誌ができた一日、彼女が男と別れて自立した練馬の新居へ行った。建売り住宅なのか、周囲に家はなく、車でなければ行けない辺鄙(へんぴ) な場所にそれはあった。家の柱が見るからに細く節(ふし)が露骨に出ている。大工の娘であるわたしは一目で安普請と思う。しかし、「瀬戸内さんはこれで一国一城のあるじですね」とわたしは言った。
『夏の終り』には、別れた恋人がじつに几帳面に女性の身辺を気づかい、出さきで生理になったときなど、バッグに柔らかい紙がたっぷり入れられていた話も出てくる。その頃、瀬戸内さんはわたしに「やっぱり仁がいいわ」と無邪気に笑ったことがある。
今度の諸氏の追悼の記事で『夏の終り』の新しい若い恋人は、北京時代の夫の教え子と知った。夫と子を棄て、寒空の下、コートもぬいでゆけと夫に言われた家出のとき、恋人とはなにもなかったと瀬戸内さんは書いている。この男性が、のちに『夏の終り』に若い愛人として登場するのだ。
寂聴さんが生涯に愛したのは、3人の男性ではないかと思う。彼女の筆はのびやかで、仏教をおさめるものとして、物語の裏にひそむものを書かずにはいなかった。『源氏物語』の現代語訳に6年かけたこと。登場する女たちの7割がのちに出家するという寂聴さんならではの指摘。仏教に帰依しなければ『源氏物語』は書けなかったという寂聴さんの言葉に、たくまぬ自恃(じじ)を感じる。