哲(のり)ちゃん(十八代目勘三郎の本名・哲明)はね、彼がニューヨークへ歌舞伎の公演で行ったとき、電話があって、「お兄さんがこっちでいろいろやっといてくれたから、今、僕らがこうしてできるんです。お兄さんは歌舞伎界の野茂ですね」って。野茂投手は引退したけど、僕はまだ引退してないよと言うと、「アハハ」って笑ってガチャンと切りましたけどね。

お父さんの中村屋のおじ(十七代目勘三郎)も、『ラ・マンチャの男』はもちろん『スウィーニー・トッド』というミュージカルからストレートプレイの『アマデウス』に至るまで、とにかくよく観に来てくださって、そして褒めてくださった。親父とはずっとライバルで、とにかく腕を競ってましたね。

芸を競うのが役者だ、と私は思ってます。だから、アーティストなどと言われても、その中でわれわれ歌舞伎の役者はアルチザン……職人だと思ってます。手に職がつかないと職人とは言えませんが、役者も腕に芸がつかないと一人前じゃないですね。

大先輩はみんな腕がよかった。弟もそういう意味で、芸で勝負をした数少ない役者だったと思いますね。

休んだのはただ一回だけ

――今年2月の日生劇場で、単独主演1307回の上演記録を持つ『ラ・マンチャの男』のファイナル公演が始まる。一方、歌舞伎の舞台では、高麗屋のお家芸『勧進帳』の弁慶をすでに1150回つとめているが、こちらはまだまだ記録の更新が見込まれる。

その記念すべき1000回目の弁慶は平成20(2008)年10月15日、奈良東大寺の大仏殿で上演された。ひんやりとした夜の空気の中で開演を待ちながら、私は以前大阪フェスティバルホールに追っかけをして、グリーグの『ペール・ギュント』の、ちょっと巻き舌になって威勢のいい白鸚さんの語りを聞いたことを思い出していた。

「あれは指揮者の若杉弘さんのご要望だったのよ」と最近になって紀子夫人から伺ったが、あのときは並んだ席で二人ともすっかりファンの顔になって聴いていた。