「芸を競うのが役者だ、と私は思ってます。だから、アーティストなどと言われても、その中でわれわれ歌舞伎の役者はアルチザン……職人だと思ってます」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける俳優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く連載。第1回は歌舞伎役者で俳優の松本白鸚さんです(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

歌舞伎の役者はアルチザン

――白鸚さんにとって大きな試練は、昭和57(1982)年1月、39歳にして父・初代白鸚を失ったこと。その前年の10月に、前名「幸四郎」を九代目として継いだばかりだった。

歌舞伎の世界では、後ろ盾となる大名跡の父親を亡くすと、周囲の感じがガラリと変わって茫然となる、という話をよく聞く。

十八代目中村勘三郎が父十七代目を失うのは32歳のときだったが、このとき救いの手を差しのべてくれたのが他ならぬこの「幸四郎のお兄さん」だった。私は帝劇で『王様と私』の初演を観ているが、このとき、チュラロンコン皇太子の役をつとめたのが十八代勘三郎、当時の「勘九郎坊や」だった。

「親父が4月に亡くなったら途端に役がつかなくなってね。7月に大阪の中座で『四谷怪談』のお岩を、というのは前から決まってた。でも、伊右衛門役に高麗屋のお兄さんが出てくれたことがどんなに有難いことだったか」という話を、私は何度も勘三郎さんから聞いている。

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いやあ、われわれでさえ親父が亡くなったあとは、弟と二人、もう行き場がなくなった感じがしましたからね。山本有三さんの『盲目の弟』という芝居を弟と演じたことがありました。弟が尺八を吹いて路上で恵みを乞うているきょうだいの話ですが、ちょうどあの芝居みたいな境遇になったのです。

そのどん底みたいなときに声をかけられた、一番心に残っている言葉は、松尾國三さんという、旅役者から身を興して興行師として成功なさった方ですけどね。大阪の新歌舞伎座の楽屋で、私が化粧(かお)を落としてるときにこう、肩をポンポンと叩いて、「人生、これからが面白いよ」って言ったんです。この人はつらいことも苦しいことも、全部面白いことにしてしまう。そのバイタリティというか生命力。それで生きる力強さをもらいましたね。