左から母の君子さん、ユキさん、祖母のミツさん、娘の真貴さん。鳥居家、女四代での一枚(写真提供◎鳥居さん)

「美」や「芸術」に囲まれて育った

大好きなデザイナーの仕事ですが、最初から「デザイナーになりたい!」という強い意志があったわけではありません。わが家は、戦後、祖母が「トリヰ洋装店」を開き、母もファッションデザイナー。2人とも絵画や演劇などに造詣が深く、祖母は歌舞伎の十一代目團十郎さんやオペラ歌手の藤原義江さんの後援会長を務めていました。だから私も幼稚園の頃から、さまざまな舞台を観に連れて行ってもらっていたんです。

母と一緒に銀座のお店に行くときに、日動画廊に寄って絵を観たり、日劇のウエスタンカーニバルに連れて行ってもらったり。幼い頃から「美」や「芸術」に囲まれた環境で育ったので、自然と「美しいもの」に興味を持つようになりました。

幼い頃は、画家になりたいと思ったこともあったんですよ。画家の仕事は一人でできますし、好きな時間に絵を描いても、誰にも迷惑がかからない。画家は自由でいいなって。

でも、中学生になった頃には、母の生地の買い付けについて行き、好みの色でオリジナル生地を作って、自分が着たい服をデザインしていました。それが楽しくて。ふと気づいたらそのままデザイナーになっていたという感覚です。祖母も母も、特に「ああしなさい、こうしなさい」とは言いませんでしたが、知らないうちにレールが敷かれていたのかもしれませんね。

あくまで好きでやっていたデザインを、プロとして意識するようになったのは27歳のとき。それまでは母と2人でデザインしていたのですが、母が会社経営のほうに回り、私一人でデザインを担当するようになったことが大きな転機でした。

実は私、いったん何かに熱中すると、3日くらい寝なくても平気なんですよ。とはいえ、チームですから、スタッフのペースも考えないといけません。パリコレに出品するコレクションづくりのとき、何日もろくに眠らず仕事をしていたら、スタッフがトイレで座ったまま爆睡していたことがあったほど。(笑)