「本物を勉強してくるように」と言われ留学したパリは、刺激的だったそう(写真提供◎鳥居さん)

自由闊達な祖母や母の血を受け継いで

デザイナーとして一本立ちした頃に、結婚もしました。当時の日本は、家事は女性が担うものという風潮が強かったのですが、母はフランスの文化や生活スタイルが大好きな自由な人だったので、「妻は家を守るべし」といった考えは微塵もなくて。

おまけに、うちにはお手伝いさんがいたから、母はお料理もお掃除もしない。たまに掃除機を使っても、組み立て方がわからずに、本体に直接ヘッドを差し込んで、「腰が痛くなるわ」と言いながら、しゃがんで使っていたくらいです。(笑)

そんな母を見て育ったので、私も結婚したからといって、家のことをしなければとは思っていませんでした。75年からパリコレに参加するようになった関係で、1年の半分を日本、もう半分をパリのアトリエで過ごすようになってからは、パリではマルシェへ買い物に行って簡単な料理を作ることもありましたけど、日本ではお料理もお掃除も家政婦さんに任せきり。

娘を出産した後も、すぐに仕事に復帰しました。当時は今のように手軽に頼めるベビーシッターさんがいなかったので、病院で付き添ってくれた乳母さんにそのままうちに来てもらい、私は次のショーの準備に専念。そんな私のやり方を非難する人もいたのでしょうけど、自由闊達な祖母や母の血を受け継いでいるので、気にならなかったんです(笑)。

結婚前からわが家の様子を知っていた夫も、はなから私に家事なんて期待していませんでした。妻や母の役割を求めるよりも、デザイナーとしての私を応援してくれましたし、母が経営から退いた後は夫が会社の代表として、仕事に奔走する私の健康管理にも気を配ってくれていました。

なにせ私は、いったん仕事モードに入ると、多少体調が悪くてもそのまま走り続けてしまう性格です。それをいつも諫めてくれたのが夫。高熱にもかかわらず、「仕事をしていれば治るから!」と譲らなかったときは、夫が無理やり病院に連れて行ってくれたおかげで肺炎だとわかり、その場で即入院。大事に至らずに済みました。

パリコレでクタクタに疲れて帰国したときも、私が「さあ、これから飲みに行こう!」と言ったら、「フラフラなんだから、すぐに検査しなきゃ」と、有無を言わさず病院に連れて行かれて。

毎日飲んでいるサプリメントもすべて夫が選んでくれたもので、何を飲んでいるのか、自分ではさっぱりわからない(笑)。ささいなことで年中ケンカをしてきましたが、これだけ自分のことを思ってくれる相手に出会えたのは、本当にありがたいと思っています。