「作家デビュー」 書いていると苦楽も雑念も消えて

──岸さんは作家としても活躍なさっています。特に2013年に発表された小説『わりなき恋』は、熟年の恋を描いてベストセラーになりました。作家を志したのはいつ頃からなのですか。

小学生の頃から稚拙な童話や、散文詩のようなものを書いていましたね。

──高校生のときに「梯子段」という小説を書いて川端康成さんに読んでもらいに行ったという話は本当ですか?

従姉の夫が川端先生の弟子筋にあたる人で、無理に連れて行かれました。四谷の福田家という料亭でした。でも、先生のあの深い湖のような目を見て、慌てて原稿を座布団の下に隠しました。先生との邂逅は朝日文庫の『私の人生ア・ラ・カルト』の冒頭に載せましたので、ぜひお読みくださいませ。(笑)

結婚10年の節目に川端康成さんと対談。川端さんとは、岸さんのフランスでの挙式に結婚立会人として列席した縁も(『婦人公論』1967年8月号)

──岸さんは『巴里の空はあかね雲』で作家としてデビューされましたが、離婚後にはバルト3国やイランに出向かれ、ジャーナリスティックな視点で、渾身のルポルタージュを2冊発表なさっていますね。

ええ、『ベラルーシの林檎』では、日本エッセイストクラブ賞をいただきました。『砂の界(くに)へ』はイスラムとアフリカのこと。危険をおかしてもああいうものを書くようになったのは、まちがいなくイヴの影響です。

──ベストセラーになった小説『わりなき恋』はご自分で舞台用の脚本にして、ひとり舞台に挑戦されましたね。83歳での凜としたピンヒール姿が話題になりました。

82歳ではじめて千秋楽が83歳です(笑)。この作品は書くことと演ずることが合体した、私の集大成。心をこめて演じたいと思っています。

──女優にして作家という稀な境遇を、これからどう生きていきたいですか?

作品を評価してくださるのは、私という人間に偏見や差別意識を持たずに読んでくれる本当の読書人です。私は『風が見ていた』(上下巻)と『わりなき恋』を書いたことに、嗤われるかもしれないけれど自分なりの誇りを持っています。よくぞここまで書いたと(笑)。

少し前、あるサイン会で、私の大ファンだという65歳ぐらいの紳士が、20冊も買ってくれたのですが、私の隣にいた編集者に「あ、あなたがゴーストライターの方ですか?」と言ったの。ひっくりかえるほど驚いた。「私がものを書き始めた頃、この方まだ生まれていらっしゃらなかったと思います」と言うと、紳士サマは驚いて、「じゃ、今までの本は全部ご自分で書いたんですか?」。(笑)

──そうした現象へはどう対処していらっしゃるのですか?

私、とても我慢強いのよ。怒りや屈辱はお腹の底にしまって、力に変えるようにしています。

──書くことのほかに、今、取り組みたいと思っていることはありますか?

幻想に終わるかもしれないけれど、小さな「私塾」のようなものをやってみたいなと思っています。この複雑な世界で私が体験したこと、日本人だからこそ陥った失敗談、そこからひとりでどう立ちあがったかなど、あちこちに飛ぶ話で。(笑)

若い人たちと座談のかたちで意見交換をしてみたい。今の若者が「人生」をどう考えているのかを知りたいのです。

私は個人として、どんな苦境にあっても自由と孤独を取りこんで生きてきたけれど、「人の輪」みたいなものが作るに違いないパワーって素晴らしいんじゃないか、などと思っています。ちっちゃな15人ぐらいの「塾」、すてきだと思いません?