バスが発車する。この前帰ってきたのは年末年始だった。約半年ぶりの光景はなつかしいこともなく、みのりにはただ退屈なだけだ。背後で赤ん坊は泣き続けているが、母親のあやす声もしーっと言う声も聞こえてこず、みのりは不安になる。座席の背もたれの隙間(すきま)が二ミリほど開いているので、みのりはさりげなくそこからのぞいてみるが、赤ん坊の衣類らしきものが少し見えるだけで、母親の様子は見えない。

 みのりが東京に向かったのは一九九九年だ。修学旅行や家族旅行などで、飛行機に乗ったことはそれまでもあったけれど、十八歳だったあの春がもっとも興奮した。はちきれそうにわくわくしていた気持ちを、みのりは今もありありと覚えている。出ていくんだ、と思っていた。出ていけると信じていたのだ。あのころはまだ。

 終点の二つ手前のバス停でみのりはバスを降りる。降り際に、やっぱり気になってうしろの席を見てしまう。赤ん坊はすでに泣き止んで寝ている。若い母親はぼんやりした目を窓の外に向けている。みのりはほっとしてバスを降り、進行方向とは反対に歩き出す。

「ほうらい家」の前には相変わらず行列ができている。ほうらい家はみのりの祖母の両親がはじめたといううどん屋で、今はみのりの伯父(おじ)夫婦とその長男が切り盛りしている。

 ほうらい家の前、一方通行の細い車道を挟(はさ)んで専用駐車場があり、その駐車場を囲むようにみのりの親族たちが居を構えている。駐車場の奥の一軒家がみのりの実家で、ほうらい家に向かって右手が祖父母の家、左手が伯父夫婦の家族、結婚した伯父夫婦の長男、多田嘉樹(ただよしき)一家はほうらい家の二階に住んでいる。みのりにとっては生まれたときからこの一族密集スタイルだったので、なんの抵抗も感想もなかったのだが、東京でひとり暮らしをはじめたときに、あまりの解放感に戸惑うほどだった。知っている人がまわりにいないどころか、まわりの人たちが知り合おうとしないことに驚き、静けさに慣れない居心地の悪さを、これがホームシックかと勘違いしたほどだった。

 実家にいく前にみのりは祖父母宅の引き戸を開ける。テレビの音声が広がる。

「戻(も)んだでー」玄関先から叫ぶと、おうー、と奥の間から祖父の声がする。みのりは靴を脱いで上がり、廊下を通り茶の間に向かう。台所と食卓、古びたソファとテレビのある八畳間で、ソファに座って祖父の清美(きよみ)はテレビを見ている。食卓の上には新聞やチラシや、食べかけの食パンが載った皿や菓子の袋がばらまかれたように置いてある。

「じいちゃん、変わりないんな?」床にも散乱しているチラシや紙屑(かみくず)やうちわを拾って片づけながらみのりは訊(き)く。

「そやなあ」清美はぼんやりした声で言う。

「これ、おみやげ。東京ばな奈、好きやったやろ。あとでばあちゃんと食べていた」食卓をかんたんに片づけてスペースを作り、そこに紙袋を置いて、部屋を出ようとすると、「上に陸(りく)がおるけん」と、清美はテレビの音声に負けじと声を張り上げる。「りくー、ほれ、みのりが戻んできたで」

「陸、こっちにおるんな」みのりは焦る。陸はみのりの甥(おい)にあたる。みのりの兄、多田啓輔(けいすけ)の子である。ほうらい家にかかわることなく住宅会社に就職した啓輔とその家族は、JR駅に近いマンション住まいだ。ゴールデンウィークが終わってから、陸がなんだか学校にいかないの、と義姉(ぎし)の由利(ゆり)からのメールに書かれていたのは一週間ほど前のことだ。

 そんなに深刻な感じでもなく、やりとりのついでのように書かれていただけなのだが、陸と話してみようか? とみのりは返信した。そんなに心配もしていないんだけれどね、と返信の返信ものんきだった。