若竹 人間の感情って、ひとつにくくれないところがありますよね。昨年結婚した娘が、新居が決まるまで私の家に夫婦で同居しています。娘にいい人が見つかってよかったな、幸せそうだなって心底思っているんですよ。でもどこかで、「私はこの時代には戻れない」「お父さんもいないし」っていう悔しさが、少しだけある。(笑)
茂木 矛盾はあって当然です。日本の女性は、「母親なのに、『自由になりたい』と考えるのは間違いだ」などと自分の可能性を狭めてしまうことが多いでしょう。
若竹 私にもそういう時期がありました。妻や母といった狭い世界でしか生きられないから、自己表現として夫を出世させる「いい妻」、子どもをしっかり教育する「いい母」を追求するしかなくて。
茂木 本来「私」という存在はひとつではなく、社会とのつながりの中でさまざまに分散しているもの。最近、一人の中に複数の人間がいるように語る「多声性」の小説が世界的に注目されています。『おらおらで〜』も、主人公の桃子さんが脳内でさまざまな声と対話をしていましたよね。
若竹 私自身、自分の中の大勢の人間に「こうだべか」「いや、そうじゃないべさ」と対話させ、合議制で動くところがあるんです。
茂木 ある程度いい加減に、その時々で違う自分を使い分けたほうが気楽に生きられますよね。
若竹 まさに私はそのタイプです。夫を上手にヨイショして働かせて、自分は自由な時間を持つことを「ずるいなあ、私」と思いながら、表面上は何食わぬ顔で「いい妻・いい母」をやってきた。
茂木 それを自分で認められるのがすごいなあ。僕の周りでは最近、定年とともに元気がなくなっちゃうおじさんが続出しています。男は社会での地位とか出世といった価値観でしか生きていないでしょう。その間、妻たちは着々と自分の世界を深めているのに。