親はスーパーマンだと思っていた

娘の活躍を見守ってきた父母は、ともに95歳。かたせさんが、要介護状態になった父親と体調を崩した母親の世話をしていた頃は、悩みをひとりで背負ってしまうことがあったという。

――商社マンだった父は、私が1歳になるかならないかの頃にメキシコへ赴任。帰ってきたのは幼稚園のときだったから、幼児期はほぼ母とふたりきりだったことになります。母は、私の誕生日に写真館で写真を撮っては、父親に送っていたそうです。

子どもの頃のひとり遊びの思い出はたくさん。当時ありんこを飼っていたんですけど、夜、枕元に置いた飼育箱から脱走されて体中刺されちゃったこととか。バービー人形の服を自分で作ったのはいいけれど、着せたまま縫っちゃって脱がせられなくなったことも……。

学校の勉強も頑張っていましたよ。兄弟姉妹がいなくても寂しくないよう、子どもなりに時間を充足させるワザみたいなものを身につけてきたのかもしれませんね。

大学生のときにスカウトされて、タレントとしてデビューすることになりました。当初、両親はひとり娘の芸能界入りに猛反対でしたが、それ以降はいつも応援してくれました。

仕事とプライベートの両立が一番難しかったのは、両親の介護が必要になって、私が仕事をしながら面倒を見ていた50代の後半です。両親はふたりで暮らしていたのですが、父が突然倒れて入院してしまい、要介護5に認定されました(その後、要介護2に)。さらに母親が体調を崩して、そのため私は、父の入院先と、母の住む実家へ毎日通うことになりました。

仕事に影響があるので、同居という選択肢はなかった。行政の介護サービスは利用していたものの、ひとりっ子ゆえ、「全部私がやらなくちゃ」と気負っていたように思います。

母の様子を知るために毎日のように電話をするんですけど、タイミングよく電話をとってくれないこともありますよね。それで心配になって、何度飛んでいったことか。結局なんでもなくて、ホッと胸をなでおろす、その一方で、「どうして電話に出ないの!」と怒ってしまったことも。

私にとって、親は「絶対的な存在でスーパーマン」だったんです。そんな親が老いて、身の回りのことがおぼつかなくなっていく。その状況を受け入れがたく、自分の感情をコントロールできなくて、ついきつい言い方をしてしまった。親子って遠慮がないだけに難しいですね。当時撮った自分の写真を見ると、毎日張り詰めていたのか、笑ってはいるものの、笑顔に力が入っている。無理していたことがわかります。