その手を握りかえしながら、ぽろぽろと泣き出す彼女。当時は母親を亡くしたばかりで気持ちが荒み、理由もなく他人を傷つけてしまったという。

「その痛みがあるから、人の役に立つ仕事がしたくて介護士になったという話も聞かせてくれました」 彼女とはその後もSNSを通じてやりとりがあるという坂上さん。

理不尽と思っていたいじめにも理由があったこと、どんな相手とも心を開いて話すことの大切さを知り、「自分も成長できたという実感があります。これからは私、誰とでも友だちになれそうって思いますもの」と明るく語る坂上さんだった。

 

~汐見さんの場合~

「あなたが初恋の人」まさかの告白から

「あの再会をきっかけに、人生をもうひとつ知ったような気持ちです」

と微笑む汐見和子さん(74歳)が出席したのは、約25年前に開かれた区立中学の同窓会。ホテルの立食パーティで友人と話していた汐見さんに、「こんにちは、元気?」と声をかけてきた男性がいた。

「彼とは中学では別のクラスでしたが、小学校は同じクラス。5年生のときに徳島から転校してきたのだけれど、私も偶然3~4歳の頃に徳島へ疎開していたこともあって、育った場所が同じだったんです」

再会当時は50代前半。お互いに家庭を持ち、汐見さんは自宅でピアノ教師を、彼は神奈川県で開業医をしていた。近況を知らせ合っただけでその場は別れたのだが──。

「そのとき、『旅先で買ったんだ』と、小さなおみやげをひょいっと渡されたのが、ちょっと印象的でしたね」

その後は、小中学校の同窓会で顔を合わせつつ、汐見さんが実母の自宅介護や夫のがんの治療方針を電話で相談するような関係が続いていた。

「幼なじみの親しさというか、何でも話せる友だちの感覚。ただ、会うたびいつも、きれいな布のポーチや小さな置物など、旅のおみやげをマメにくれる人だなぁとは(笑)」

いまから12年前、汐見さんの夫が亡くなった。彼のほうは別居状態だった前妻との離婚が2年前に成立。

「そうなって初めて、『初恋の人だった。結婚してくれないか』と告白されてびっくり! 電話では話していましたが、顔を合わせるのは年に一度の同窓会くらいでしたから」

子どもたちも独立して悠々自適の生活。汐見さんは長年の夢だった演技の勉強を始め、シニア劇団で舞台に立つ喜びに目覚めたときのプロポーズだった。

「私の友人は、ほぼ全員が大反対(笑)。『ようやく自由になったのに』『婚姻届を出すとややこしいから、事実婚でもいいじゃない』と」

もちろん汐見さんも悩んだ。息子たちは「お母さんの好きにしたら」と応援してくれたが、なかなかふんぎりがつかなかったという。

「それでも彼は何度も思いを伝えてくれました。私が『何もしてあげられないわよ』と言っても、『そばにいてくれるだけでいいんだ』って」