秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉

●古湯温泉(佐賀県佐賀市富士町)
斎藤茂吉『あらたま』

大正9年9月、日本歌壇の重鎮で短歌結社誌『アララギ』を主宰し、長崎医学専門学校(現長崎大学医学部)の精神科教授であった斎藤茂吉が、当時流行していたスペイン風邪に罹患(りかん)し、症状が悪化したため長崎県から佐賀県の古湯温泉を訪れ、旅館「扇屋」の離れで静養した。茂吉の日記には「ここへ来てから痰(たん)がだんだん減って、血の色がつかなくなった。2、3日してからはじめて『あらたま』の草稿の入っている風呂敷を広げて心しづかに少しづつ歌を整理していった。9月30日には編輯を終えた」と記されている。

「うつせみの病(やまひ)やしなふ寂しさは川上川のみなもとどころ」

この歌の歌碑は昭和37年に、 嘉瀬(かせ)川(川上川)河畔に建立された。これは原稿用紙に筆で書かれていた茂吉直筆の歌を写真に撮り、引き伸ばして自然石に刻んだものである。茂吉は古湯温泉に約3週間逗留し、38首の歌を残している。前記の歌もその中の1首である。

佐賀市の北方に湧く古湯温泉は、嘉瀬川と貝野川の合流部付近に温泉街が広がり、茂吉が宿泊した「扇屋」をはじめ14軒の旅館がある。

約2200年前、秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福が発見したという伝説も残る。古くから湯治場として知られ、元禄16年(1703)の大地震で一時埋没したが、寛政3年(1791)に鶴が傷を癒しているのを庄屋・三右衛門が目撃し、村人と協力して温泉を再興させた。そこでこの温泉を「鶴の湯」と呼び、後に「鶴霊温泉」と称した。江戸時代末期になって温泉名は「古湯温泉」になった

鶴の恩返しから名付けられた旅館「鶴霊泉」には、湯船の底の岩盤の上の砂の間から真綿のようにやわらかい温泉が直接湧き上がってくる全国的にも珍しい「砂湯」もある。