●土肥(とい)温泉(静岡県伊豆市土肥)
若山牧水『山桜の歌』
旅と酒と温泉をこよなく愛した歌人・若山牧水(筆者も大いにこの傾向あり)は歌集『独り歌へる』の序文冒頭で、
「私は常に思って居る、人生は旅である、我等は忽然として無窮(むきゅう)より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまふ」
と旅に喩えた人生観を記している(無窮とはきわまりないこと。無限)。
「幾山河(いくやまかわ)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日(けふ)も旅ゆく」(『海の声』)
「白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」(『海の声』)
「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」(『路上』)の名歌をはじめ、9000首余りの歌を残している。
牧水は大正初期から亡くなる数年前まで、伊豆半島の西海岸、土肥温泉の「土肥館」で毎年正月を過ごしている。土肥館の三代目館主・野毛泰三とは大の酒好き同士として意気投合。お酒はいつも灘の生一本「白鹿」。旅館の館主と客の関係を越えた強い友情でつながった2人は、昼から翌朝まで語り明かしたという。牧水の一日の酒量は優に1升を超え、過度の飲酒による肝硬変で早世した。享年43歳。
「わが泊り三日四日(みかよか)つづき居つきたるこの部屋に見る冬草のやま」伊豆の土肥で詠み、『山桜の歌』に収められたこの歌の歌碑は、同館の玄関前に建つ。
その後、牧水ゆかりの「土肥館」は屋号に牧水の名を譲り受け、「牧水荘土肥館」として牧水ファンに親しまれている。大野天風呂には樹齢100年のゴムの巨樹が茂り、名物の洞窟風呂も。館内には「牧水ギャラリー」があり、直筆の掛け軸や写真、資料などが展示されている。
土肥温泉は江戸時代初期、土肥金山の採掘中に安楽寺境内の坑口から温泉が湧出したのが始まりで、この源泉は発見者の間部彦平に因み「まぶ湯」と名付けられた。近代の土肥温泉は明治33年に馬場(ばんば)地区で飲料用の井戸を掘ったところ温泉が湧出し、この温泉をはじめ6カ所の源泉は伊豆市土肥支所が集中管理し、各旅館に分湯している。
※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。