今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『古典とケーキ』(梶村啓二著/平凡社)。評者は学者芸人のサンキュータツオさんです。

名作と評者をセットで楽しむ

兎にも角にも微視的で精緻、それでいて優しさと気付きに溢れる文章を堪能してほしい。

書評はよく読まれる、しかし「書評本」となると売れないといわれる。人が興味をもつのはあくまで「語られた本」であって、語った文章そのものではないからだ。しかしこの本を読めば「語った文章」そのものの美しさ、対象への愛を目の当たりにし、「読む」という行為の本質を思い知らされる。

しかもただの書評ではない。

再読した「古典」的文芸作品(漱石『文鳥』から、シェイクスピア、チェーホフ、菅原孝標女、世阿弥にモンテーニュなど12作品)と、その作品を読むと食べたくなる手作りスイーツがセットで語られる。この作品群を見るだけでも、豊富な読書量に裏打ちされた圧倒的な審美眼を感じさせてくれる。

が、内容を読めば想像をはるかに上回る、骨太な作家である筆者の愛らしい個性も見て取れる。それでいて古典の魅力を潰さずに、むしろより輝かせるのだ。美しいフォームで走るランナーと、そのランナーがなにを思いどういう状態かを逐一教えてくれる実況解説の関係のように、古典と評者がセットでひとつの作品にもなっている。

たとえば筆者は、漱石の『文鳥』を恋愛小説の最高峰と言って憚らない。〈『文鳥』は、現実とフィクションが交錯し、高圧のもとで炭素からダイヤモンドが生まれるように、硬度と純度の高い物語が生まれる原風景を見るようでスリリングである〉と、フィクションだけが発する力に言及する。フィクションだけが持ちうる力を信じている人なのだ。

初恋の人と何十年も経って再会してまたトキメいている人のように、瑞々しい感性と文章で綴る心の振動はやがて読む私たちにも波及する。

これほどに楽しい試みと高い志の書評本にはお目にかかったことがない。