思わぬことで判明した大病

高校時代に健康法を学び、さらに就職や大学受験と忙しくしながらも、食事に気をつける生活を続けていました。

そして、学園紛争で大学が封鎖になったことで、ヨガに夢中になっていったのです。それと同時にいろいろな療法も学んでいきました。5、6年そうした後に結婚をして、あれこれ仕事などでも忙しくなったため、プライベートで自分のためにたまにヨガの体操、肉体的なヨガをする程度でした(結婚についての詳しいことは後に譲ります)。

結婚してしばらくした頃、夫やその友達と一緒にスナックへ行って、カラオケで歌おうとしたら咳き込んでしまい、声が続かなかったのです。それ以外の自覚症状はなかったのですが、声が出ないし咳き込むので、体が弱っていると判断して、水泳で体を鍛えようと思い、スポーツクラブに入会することにしたのです。

入会前の健康診断でレントゲンを撮影すると、肺に影があることが判明しました。

病院で詳しい検査を受けたところ、結核という診断が下されます。父が結核で亡くなっていたので遺伝的な要因もあったのでしょう。結核は進行状態によって軽度から順に第一期、第二期と分類されますが、私は第四期でかなり重度。緊急入院となってしまいました。自覚はなかったのですが、結婚して私より年下の彼との生活を支えなくてはならないとか、常に前向きではありましたが、無理をしていたのでしょう。悪くなっても頑張れてしまうのは怖いことです。当時は、今と比較するとまだ悟りのヨガではなく、心や体をよくするヨガであったのです。それだけに変に体と心が強く、頑張る欲の心があったと思います。

清瀬にあった病院での入院生活は約1年間に及びました。何につけても忍耐を求められたあの期間は、今にして思えば学びの日々だったのです。

隣のベッドにいた若い女性患者は、肺に10円玉ほどの影があるということでした。結核菌が肺全体に広がっている私より病状は軽かったはずなのに、その後亡くなってしまったのです。私は本当にかわいそうにと、生前の彼女を幾度となく思い出しては心を痛めました。

そして、「なぜ症状の軽い彼女が亡くなって、肺全体に症状が広がっていた私が平気なのか」と考えていたところ、一つの答えにたどり着きます。

1982年、渋谷道場にて