食についてはストイックになり過ぎないこと

しかし、まだ不足がありました。断食ができる環境が与えられても、「断心」はしていないということです。ですから、それをやったらいきなり成功するということでもありません。もっと心と体の研究を行って学びの実践をしていき、さらにこれらを超えるための研究が必要だったのです。そう気づいた私は、体と心を含めた教えであるヨガに再び出会い、体とともに全体を整えることに専念しました。

私は刻々と変化する体調を観察しながら、何をどの程度食べ、どのくらいの間隔で断食をして、ヨガをどんなふうに取り入れていけば快方に向かうのか、人体実験をするような感覚で楽しみながら取り組んでいました。当時は添加物などが含まれていない自然なものを食べるのがいいということで、摂取するようにしていました。生食や玄米食も行いましたし、小魚ならば頭からしっぽまで、大根ならば葉まで食べるという「全体食」も実践しました。食事療法にもさまざまなものがあり、サプリメントやら青汁療法やら凝りだしたらお金もかかります。私は自然のものから栄養を摂るようにし、バランスを取るように気をつけていました。

現在、私は野菜を主食にして生きています。とはいえ、あまりストイックになり過ぎないよう心がけて。過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言いますね。

「無農薬のものしか食べない」とか決めてもそうしたものが手に入らないし、またベジタリアンといっても外食する機会もあり、その主義を厳密に守ることは不可能なので、自分をルールでがんじがらめにしないことにしています。

欧米の人は肉を多く食べています。それは土地の気候や環境に合った長い間の習慣ですから、どちらが正しくてどちらがよくないということはできません。私の場合は肉を食べないほうが体調がよいので、そうしているのです。

ただ、静かで深い瞑想をするとすべてが平和になるので、肉のように、摂ると興奮したり血が濁るものはできるだけ食べないほうがいい、というだけのことなのです。

『慈愛に生きる-ヒマラヤ大聖者 相川圭子自伝』(著:相川圭子/中央公論新社編)