大病を経て学びを深めた
それでもヨガの威力が私の体の根底に及んでいたということです。そして、これまでの体験で何事にも動じない精神力を持っていた。問題があるとかえって力が湧いてくる感じがするのです。亡くなった彼女は、結核になったことで医学生の彼と結婚できなくなったと落ち込み、泣き暮らしていました。
一方の私は、「こうなったからには仕方がない」と腹をくくり、時間だけはたっぷりあるのだしと考えて、結核菌を殺す強い薬の副作用について調べたり、心と体に関する本を読んだり、禅の言葉を学んだり、命の尊さについて考えたり……。病床にありながらも、生きることに意欲を燃やしていたのです。
また、病院の食事は緑の野菜が少なくバランスが取れていないので、それを解消しようと努めました。長期療養のための病院なので、院内の売店には野菜が売られています。そこでニラを買ってきて、食堂の脇にある小さなキッチンで、銀紙で包んで蒸し焼きにし、味噌をつけて食べたりしていました。
幸いにして病状は快方に向かい、無事退院できました。しかし、医師からは本来なら絶対安静が望ましいと言い渡されます。今後も激しい運動はもってのほか、興奮したり、くよくよ悩んだり、根を詰めたりするのもいけないとも忠告されたのです。
父も同じように絶対安静だったと母からよく聞かされていました。有効な薬がない時代は、栄養を摂ることと安静に過ごすことも大切な治療法でした。その考えが私にも染みついており、「動くと眠った子が目を覚ます」と考えるほどよく気をつけていたのです。
しかし、病気が治ったらもっとヨガを行おうと、ひそかに心待ちにしていました。病気に関する本を読み、生命力も高めなければならないと。病気がきっかけで、私の中で何かが弾けたようでした。「自分を信じて前進するしかない」という信念が生まれたのです。
退院後も少しずつヨガに取り組むことで、私は徐々に回復していきました。ヨガが私の支えになったことは確かです。
そしてヨガから離れないためにも、人にそのすばらしさを伝えようと思うようになっていったのです。
※本稿は、『慈愛に生きる-ヒマラヤ大聖者 相川圭子自伝』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。