北条政子につきまとう「強い女」のイメージ
親の決めた結婚相手を捨てて自分が愛した男のもとに走り、夫が浮気をすれば相手の女の家を打ち壊し、夫や子供が亡きあとも命がけで鎌倉幕府を守りぬく。北条政子にはそうした「強い女」のイメージがつきまとう。
しかし、政子にかぎらず中世の女性は自分と家を守るために激しく主張し、戦い、時には暴力沙汰に及ぶことも辞さなかった。
「強い女・北条政子」のエピソードの代表格はなんといっても、ドラマでも描かれた頼朝の浮気相手・亀の前の住まいを破壊させた寿永(じゅえい)元年(1183)に起きた前述の事件であろう。
政子の独断専行に怒った頼朝は、打ちこわしの実行者だった牧宗親の髻(もとどり)を切る(髻切り)という処罰を行う。これは、当時の男性には死に準ずるほどの屈辱なのである。
しかし宗親は北条時政の後妻・牧の方の縁者だったため今度は頼朝の舅(しゅうと)である時政が激怒。一族を引きつれて本領の伊豆・韮山に引きあげる大騒動に発展してしまった。
あわてふためいた頼朝だったが、政子の弟の義時だけが鎌倉に留まっているのを知って安堵したのだった。