御家人まで巻き込んだ泥仕合!中原氏女VS藤原氏女
ここまで暴力的ではないにしろ、女同士の激しい戦いをもう一つ。時代は鎌倉時代後期、二回にわたった元寇の間の弘安(こうあん)年間の話である。
京の東寺の領地だった若狭国太良荘末武名(わかさのくにたらのしょうすえたけみょう。現在の福井県小浜市)に二人の女性がいた。二人の本名は伝わっておらず、その氏をとってそれぞれに中原氏女(なかはらのうじのめ) 、藤原氏女(ふじわらのうじのめ)と呼ばれている。
中原氏女の祖父は鎌倉幕府の御家人だった雲厳(うんげん)から末武名を相続していた。しかし、雲厳の養子に迎えられていた乗蓮(じょうれん)という男も太良荘の荘園領主にあたる東寺から末武名の名主(みょうしゅ。所有者のこと)に任命されていたのである。
「名」とは「名田(みょうでん)」の略で、荒れ地を開いた私有田を意味する。
当時は女性でも男性と同じように土地を所有する権利を持っており、一つの名に二人の名主という状態が発生していたのだ。
中原氏女は乗蓮の過去の非法を告発して名主職(みょうしゅしき。所有権のこと)を獲得し、のみならず乗蓮の没後にその墓に乱入し、樹木を引き抜いて荒らすという行為に及ぶ。
ここまでされてはおさまらないのは乗蓮の娘だった藤原氏女である。彼女は中原氏女の先祖がその昔に源頼朝から処罰された過去を暴きたて、名主職の奪還を求めて訴えを起こした。
中原氏女も「御家人でもなんでもない、ただの庶民のくせに藤原氏女に名を相続する権利はない」と言い返す。あげく訴訟は互いの夫の行為まであげつらう泥仕合となり、これに周辺地域の御家人たちも加わって延々と応酬が繰り返された。