古代以来の家族システムを維持したかのように見える皇室

明治天皇の祖父に当たる仁孝(にんこう)天皇の場合を考えてみよう。江戸時代後期の天皇だ(在位1817〜46年)。

正室は鷹司繋子(たかつかさつなこ)で、彼女が亡くなったあと、妹の鷹司祺子(やすこ)が継室となった。ほかに側室が少なくとも5人、なした子供は15人。

仁孝天皇は、近代的な夫婦、家族とは異なる環境に生きていた。一人の異性と恋をし、添い遂げるという発想は持っていなかった。

江戸時代の宮廷が、一夫一婦多妾(いっぷいっぷたしょう。側室制のこと)だったのは、天皇の跡継ぎ(皇嗣《こうし》)を確保するためだ。

多くの子供がいれば皇位は安定する。明治天皇の世になっても側室は廃止されなかった。大正天皇は形式的には一夫一婦を確立したように見える。だが実は若い女官(にょかん)に興味を持ったと語られる。

昭和天皇に側室がいないのは確実だが、女子が4人続き、側室を持つように進言されたと噂された。昭和天皇はまた、子供を手許で育てることができなかった。

皇室は長い間、古代以来の家族システムを維持したかのように見える。