なぜ劇的に変わったのか

皇室の家族に古さを見るとき、そのなかの個人、とくに女性は抑圧の対象と見なされる。

『天皇家の恋愛-明治天皇から眞子内親王まで』(著:森暢平/中公新書)

夫からは愛されず、子供も手許で育てられず、姑(しゅうとめ)や古手の女官から絶えず注文が付く。明治、大正、昭和の皇后である美子(はるこ)、節子(さだこ)、良子(ながこ)は、悲しみ、苦悩、孤独が語られる例が多い。

いずれの皇后も、公家(くげ。華族のこと)や皇族であったがゆえに、天皇・皇太子の妻となった。自ら望んで皇后になったかはわからない。少なくとも彼女たちは、現代的な恋を実らせて皇室に入ったわけではない。

劇的に変わったのは、皇室内で家族が近代化されたからだ。一夫一婦が基本となり、その間にできた子供に愛情を注いで養育するシステムに置き換わった。

この変化は、1950年代末、明仁皇太子と美智子妃によってもたらされたと考えられている。

二人は、身分が違う障壁を乗り越えて恋愛・結婚し、三人の子供をもうけ、初めて手許で育てた。上皇・上皇后となったいま、孫4人にも恵まれ、幸せな老後を過ごしている。一人の異性と出会い、添い遂げるいわゆる「ロマンティック・ラブ」に沿った人生である。

戦後、封建的な家制度が廃止された。その流れのなかで皇室も民主化されたと考えるのは、理のあることだ。