武漢からのチャーター便をめぐる安倍首相の指示

国内で、コロナ禍について一般の記憶に残る最初のできごとは、中国・武漢にいた邦人の帰国であったかもしれない。

1月下旬から都市封鎖に追い込まれていた武漢には日系企業が多く、ビジネスマンとその家族を中心に約700人の日本人が滞在しているとみられていた。

政府は、在留邦人を救出しようと、手配したチャーター機を現地へ飛ばした。

チャーター機で連れ帰った帰国者は、症状があれば感染症指定の都立病院などに入院させ、症状のない大多数の人は、東京の新宿区にある国立国際医療研究センター病院に集めてPCR検査や診察を受けさせた。

そこは、旧陸軍病院の流れをくみ、軍医であった文豪・森鴎外にゆかりがあることでも知られる病院で、現在は、エボラ出血熱など、特に危険な感染症の患者を受け入れる医療機関に指定され、専門医が多く在籍する感染症医療の総本山的な位置づけにある。

帰国者は、検査で陰性であっても、念のため政府が用意した施設に2週間隔離された。

こうした帰国者の宿泊先として、千葉県勝浦市の勝浦ホテル三日月が客室を提供した。そのため地域一帯は一時不安に包まれ、「感染者がせきをしながら街を歩いている」などと、デマが飛び交った。差別や偏見の広がりを抑えようと、近隣の病院から、感染症の専門医が住民向けの説明会に臨んでいる。

帰国者は最終的に800人を超え、その宿泊先には埼玉県和光市にある税務大学校や国立保健医療科学院、千葉県柏市の税関研修所といった政府関連の施設も充てられた。

最初のチャーター機が武漢から帰国した翌日の30日、第2便も羽田空港に到着した。この日、政府がもうけた新型コロナウイルス感染症対策本部の初会合が開かれている。

あいさつに立った総理大臣の安倍晋三は、このような発言をした。

「災害時のDMATのしくみも活用し、必要となる医師の派遣も迅速に行ってください」

武漢からの帰国者対応にあたり、わざわざDMAT(Disaster Medical Assistance Team=災害派遣医療チーム)の名を挙げたのである。