その日、松谷のバンドは運よく横田空軍基地の仕事にありついた。トラックの荷台に座っていると尻が痛かった。我慢して、ようやく基地に着いて下士官用のクラブに入ると、大きな張り紙が目についた。

「Stag-Night」(スタグ・ナイト)と書いてある。

スタグとは、五歳以上のアカシカ(鹿)のオスのことだった。アメリカのスラングで「女性同伴でない男」を指すというが、メンバーには意味が分からない。

演奏をはじめたが、下士官連中は退屈そうにビールを飲んでいる。休憩に入ると、控室で数人の若い踊り子が伴奏曲の打ち合わせに来た。彼女たちが注文したのは『べサメ・ムーチョ』と『タブー』だった。情熱的なラテンの曲が好みのようだった。

ショーの時間になった。小ホールの奥、舞台中央の後列でピアノを弾いていた松谷は、「踊り子は出たか」と、顔を客席の方に向けて、あっと驚いた。バンド最前列のサックス奏者のすぐ前に、全裸の女性が見えた。数小節間の静止。演奏が始まりスポットライトを浴びた女性が踊り始めた。メンバー全員、ただただ、驚くほかなかった。

松谷穣(まつや みのる)1910年1月2日、兵庫県神戸市生まれ、鎌倉で育つ。東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学時、ウクライナ出身のピアニスト・レオ・シロタに師事する。戦後、米軍のキャンプでビッグバンドのバンマスとして活躍、多くのジャズ・ボーカリストを育てた。1995年没


マネージャーの言葉通り、なるほど「ごきげんな仕事」だった。若い独身者の多い楽団員は、横田から鎌倉という遠路のトラック走行にも興奮冷めやらず、深夜に松谷宅に到着した後も、話に花が咲いたのだった。