エリツィン政権とプーチン政権の対ウクライナ施策の違い

Q:ウクライナは独立後、第4代大統領・ヤヌコビッチ氏が2010年に就任するまで親欧米派の大統領が続きました。この間、ウクライナとロシアはどのような関係だったのでしょうか。

『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(著:黒川祐次/中公新書)

A:ウクライナは独立までずっと、ソ連の社会や経済の制度に組み込まれていました。なので独立後も、当面はロシアとはよい関係を続けなければ国家としてもやっていけない時期でした。 

いっぽうで、国民は欧米の新しい社会・経済システムに憧れ、それを導入したいと考えていました。このような世論に後押しされる形で、国家としては欧米とも関係を深めていかなければなりません。欧米指向が段々と強くなっていった結果、ロシアとの関係が少しずつ難しくなっていったのです。

Q:ウクライナ国内で欧米志向が高まっていく時期、ロシアではプーチン氏が1999年に首相に、2000年に大統領に就任します。前大統領のエリツィン政権のころと比較して、プーチン政権では対ウクライナ政策に違いはありますか。

A:私の在任中(1999年5月まで)は、ロシアではまだエリツィン政権の時代でしたが、彼はウクライナを別の独立国として認めていました。もしエリツィンだったら、今回のようなウクライナへの軍事侵攻は起きなかったでしょう。

実はプーチンも、就任初期のころはそれほどウクライナに対して高圧的ではありませんでした。しかし、一方でウクライナが欧米指向を強め、他方でプーチンの国内での権力が強固となり独裁的になるにつれて、ウクライナに対して高圧的になっていったのです。

プーチンは、ロシアがかつてのような大国に戻るためには、ウクライナを取り戻すことが必要だと主張するようになります。また、ウクライナを取り戻せなくても、当面は、ウクライナがロシアから離れ欧米圏内に入ることは絶対阻止しなければならないと考えたようです。