2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して、はやくも2か月半が経過しました。犠牲者が増え続けるなか、両国は幾度も停戦交渉をおこなってきましたが、いまだ戦争が収束する目途は立っていません。両国の主張がすれ違う歴史的背景や、プーチン大統領の狙い、停戦後の課題などについて、現在ベストセラーとなっている『物語 ウクライナの歴史』の著者で、駐ウクライナ大使を務めた黒川祐次さんに解説してもらいました。(以下A=黒川氏、Q=婦人公論JP編集部)
ウクライナ国内の文化や民族の違いは国を分断するようなものではない
Q:黒川さんは、1991年にウクライナが独立して、わずか5年後となる1996年に駐ウクライナ大使として赴任されました。現在の報道では、ウクライナ国内について、「ウクライナ東部は伝統的にロシア語が第一言語の住民や、親ロシア派の人々が多い」とされています。黒川さんが赴任した当時、ウクライナ国内や、ロシアとの関係はどのような状況でしたか。
A:私は1996年の10月から1999年5月までの2年7か月間、ウクライナ大使として滞在していました。
赴任当時のウクライナは独立後間もない時期ということもあって、国内では独立による意気の高揚はあるものの、共産主義経済から自由主義経済への移行が思ったように進まず、国家として、政治、経済の面でも苦しい時期でした。
ウクライナは国土も大きく、東西で文化や民族の違いは確かに存在します。ただ東西の違いが、いかにもウクライナの不安定の根源のように主張する意見や報道も見受けられますが、これはかなり誇張されたものだと思います。
「違いはあるが、国を分断するようなものでは全くない」と当時から感じていましたし、現在もそう思っています。
Q:ちなみに、現大統領のゼレンスキーさんは、かつてコメディアンとして活躍されていたそうです。黒川さんが赴任されていたころに、すでにテレビなどに出演されていたのでしょうか。
A:ゼレンスキーは1978年生まれなので、私がいた頃はまだ大学生ぐらいだったと思います。従って当時私はゼレンスキーという名前を聞いたことはありませんでした。