あ、噺家としてやっていけるかもしれない、って

つまり、1984年の新橋演舞場初出演が第三の転機となって、一気にマルチプレイヤーとして開花する。

――そうですね。NHKの朝ドラに出してもらったり、テレビ朝日の『三匹が斬る!』では、高橋英樹さん、役所広司さんと僕で、10年間近くやらせていただくことになるのも、辿っていくとこの新橋演舞場に行き着くんですね。

武道館独演会とか、博品館30日間連続公演、というのもありましたけども。

でも、転機っていうことで言うと、結構細かく、気持ちがこう揺れてるときに、天からのメッセージに導かれてるみたいな感じがあるんですね。

まずは入門したてのころ、名古屋の大須演芸場にうちの師匠が10日間出て、僕もついて行ったんですけど、小島宏之さんていうコミックバンドのボスが、中日くらいに、「小朝さん上手いね」って言った。そしたら師匠がすかさず、「上手いよ」って言った。その一言で結構決まったんですよ、あ、噺家としてやっていけるかもしれない、って。

それから前座のころ、浅草演芸ホールでお茶をいれてましたら、ご挨拶しかしたことのなかった談志師匠が、二、三歩行き過ぎてクルッと振り返って、「お前、『宮戸川(みやとがわ)』やれよ、な」って。あの立川談志がそんなことを言ってくれたというのがちょっとまた自信につながって。

二ツ目になってしばらくしたときに、(柳家)小三治師匠を僕ちょっとしくじったことがあって、そしたら「お前は先々、会長になるかもしれないんだから、ちゃんとしとけよ」って。僕、会長になんか全然なりたくないんですけど、でもこれはやっていけるかもしれない、と思った。