雑誌「アニメージュ」で連載された漫画「風の谷のナウシカ」。全7巻のうち、写真の2巻途中までが映画では描かれた(写真:本社写真部)

『ナウシカ』漫画連載の開始

宮崎駿は『ルパン三世 カリオストロの城』制作後、目立った仕事がなかった。しかし、東映動画以来の宮崎の仕事に注目していたファンはいた。その中で、徳間書店のアニメ情報誌「アニメージュ」の編集者が、宮崎に漫画の連載を持ちかけた。あわよくばそれを原作としたアニメ化をとの構想もあった。

自分はアニメーターであって漫画家ではないとしぶる宮崎を説得して「アニメージュ」で連載が始まった(1982年2月号)のが、漫画「風の谷のナウシカ」だった。 無聊(ぶりょう)を慰めるように漫画を描きはじめた宮崎だが、もしこの時に徳間書店との縁がなかったら、その後の宮崎駿はなかっただろう。

漫画の連載が続く中で長編アニメ化が決まり、問題になったのが制作スタジオである。出版社の徳間書店は、どこか既存のスタジオを使う必要があった。

この頃、『ナウシカ』制作関係者から相談を受けたアニメスタジオがある。制作関係者側からスタジオに出された要望は、ほかの仕事はいっさいせずに『ナウシカ』だけに注力すること、だったという。いま手をつけている仕事を整理した上で『ナウシカ』を制作し、それが終わったら自分たちでゼロから仕事を探すという意味だから、無理な話である。

しかしこれは、宮崎が長編を一本作るためには、それほどの覚悟と体制が必要だという意味でもあった。

結局、アメリカとの合作を多く手がけていたトップクラフトが制作を担当することになった。トップクラフトは『ナウシカ』制作後、そのままスタジオジブリの事実上の母体になった。