『ナウシカ』を見て悔しがった手塚と宮崎の関係性

『ナウシカ』を見た手塚治虫は、非常に悔しがったという。手塚の側近は、手塚が長編アニメとして本来やりたかったことを宮崎駿に先にやられたことによる嫉妬だったのではないかと想像した。

手塚が宮崎を、宮崎が手塚をどう見ていたかは、アニメ史的に興味深い問題である。1989年に他界した手塚は、宮崎作品について具体的な感想を残さなかった。

一方の宮崎は手塚の他界直後、『鉄腕アトム』はアニメ制作費を安くした「不幸なはじまり」ではあったが、「テレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけ」と述べながら、「(アニメについて)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」と批判した(「COMICBOX」1989年5月号)。時間をかけて長編アニメを作るべきなのに、『アトム』はそれを困難にしたというのである。

しかし、アニメの観客層が拡大し、商業的に成り立つきっかけを作ったのは『アトム』である。宮崎より数年早く東映動画に入り、その後虫プロに移籍した杉井ギサブローは、「私が東映を去って十年もすれば、アニメは趣味人のためのものになるんじゃないかと思っていたくらいで、それくらいアニメはお金がかかる」とした上で、「宮崎駿さんが今も仕事を出来ているのは、『アトム』があったからですよ」と語った(津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫』NTT出版、2007年)。

宮崎駿も、『アトム』以後の商業アニメ史をまるで無視しているわけではない。『ナウシカ』制作直後の頃、押井守は宮崎から「あんたと私が映画を作っていられるのは全部、ヤマトとガンダムのおかげなんだよね」と言われたという(ウェブ「ふたまん+」2021年10月8日)。