『風の谷のナウシカ』の誕生から映画公開、スタジオジブリ設立までの裏側とは――(写真提供:photoAC)
宮崎駿監督の代表作『風の谷のナウシカ』。1984年公開当時の興行収入は約14億8000万円、知名度の低い原作とアニメ監督による長編としては十分な収入で、スタジオジブリ誕生のきっかけとなりました。また2020年6月からは「スタジオジブリ 長編アニメ リバイバル上映」として公開されると、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』と併せて26億2000万円の興行収入をあげたとされます(東宝発表)。その『ナウシカ』は漫画連載から始まった作品ですが、アニメーション研究者・津堅信之先生によると、当初宮崎監督は「自分はアニメーターであって漫画家ではない」と、連載をしぶっていたそうで――

『風の谷のナウシカ』公開時の様子

1984年3月、宮崎駿監督の劇場用長編アニメ『風の谷のナウシカ』が公開された。

この年は、押井守監督『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、石黒昇・河森正治監督『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』も公開され、注目作が集まった年だった。

『日本アニメ史 手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』(著:津堅信之/中公新書)

しかもこの三作は、性質がまったく異なる。原作から大きく離れて独自の世界を展開した『うる星2』、アニメファン世代のクリエイターの思い入れを凝縮した『マクロス』、そして『ナウシカ』の成立と受容もまた特殊だった。