出版記念イベント「猫コンプレックス母コンプレックス・ナイト」では、末井さん(左)が参加するバンド「ペーソス」の演奏も。春日さんが作詞を担当した新曲「母よ、猫よ」も披露された(撮影LOFT PROJECT)

末井昭の「アマチュアリズム」

末井 ぼくがやってきたことは、いまもこれまでも全部「アマチュアリズム」だと思うんです。最初就職した工場での仕事はアマチュアも何も関係なかったですけど、そのあとの看板製作やグラフィックデザインなどの仕事もいま考えたら素人って感じですし。雑誌の編集にしても、「自分雑誌」みたいなのばっかり作っていたので。

プロの編集者には、この本はこうしたコンセプトで、社会的にはこんな意味があって執筆陣はこういう人を入れて……と、セオリーのようなものがあると思うんですけど、ぼくはそうしたセオリーとかなんにもないわけです。自分が会いたい人に会いにいって、原稿もらって。エロ本だったのでビジュアルを押さえておけば売れるからあとは何やってもいいや、という姿勢でした。ただ、それにしてもちょっとあまりにもヘンな雑誌みたいなところはありましたけど。

いまペーソスというバンドでサックスを吹いていますが、あれもプロっぽいとはいえないですよね、どう見ても。文章についても、プロの物書きと言うのはおそれ多いような感じがするわけです。

春日 でも「アマチュアリズム」っていうのは結局、「純粋なる表現欲求」っていうことでしょう?

末井 そうかもしれませんね。自己弁護のようになるから言いたくないんですけど、アマチュアだから面白いものがつくれる、という考えも確かにあるんですよ。すでにあるかたちを壊すっていうか。でもその一方で、なんかずっとこうアマチュアばっかりやって……みたいな、自分には何かこう、「これ」といった確固たるものがあるのか! っていうちょっとした不安感はありますね。

ただ、いまは会社も辞めちゃいましたし、フリーという立場になって、もう文章を書くしかないというところに追い詰められたという感じがあって。目の前の原稿をなんとかしないといけない、という状況です。

春日 末井さんの現在の肩書はエッセイストということになるんですか。

末井 いまはエッセイストを名乗っていますが、これはたまたまエッセイと付く賞(『自殺』で第30回講談社エッセイ賞)をもらったからですね。

春日 せっかくだからこれで、って?

末井 そうですね。エッセイ、まあ雑文ですけど、このジャンルでいられればと思っています。自分は何かを研究しているわけでもないし、知識があるわけでもないから、思ったこと、体験したことを書くしかできない。

時評的な原稿も頼まれて書いたことがあるんですけど、時事ネタにすごく弱いんですよね。アンチ××党とかそういうのはありますけど、本来、世の中に起こっていることに興味がないんじゃないかと。主義主張がない。

そこもまあ腰の弱さというか、自分の存在が弱いっていうことに関係しているような。……どうしたらいいですかね。(笑)

春日(笑)。末井さんのそういう欲のなさ、孤立感っていうのは宿命ですよね。