エッセイストの末井昭さん(右)と、精神科医で作家の春日武彦さん(左)(撮影:清水千恵子)
人との接触を極力避けた「新しい生活様式」を全世界が送らざるを得なくなった2020年。エッセイストの末井昭さんと精神科医で作家の春日武彦さんは、この年の秋から約1年にわたり往復書簡を行いました。その中心テーマとなったのが、コロナ禍の中でも両者の日常に寄り添う「猫」と、古希を迎えてもなお多大な影響を与え続ける「母」。これまでも著書の中で幾度となく取り上げてきた対象への旅に同行者を得て踏み出すという経験は、それぞれに何をもたらしたのでしょう。10信ずつ計20信の往復書簡をまとめた『猫コンプレックス母コンプレックス』を上梓したお二人にうかがいました。

SNSの隆盛により加速された感のある「白黒をつけたがる」風潮。精神科医として人の心に30年以上向き合ってきた春日武彦さんはその脆弱性を指摘します。〈構成◎立花律子(ポンプラボ)〉

モチベーションの源泉は……

末井 春日さんと往復書簡をしていた2020年からの1年強は、原稿を書くということではすごく鍛えられたんです。往復書簡と、『婦人公論.jp』の連載「100歳まで生きてどうするんですか?」で少なくとも毎月計1万4000字を書くというのは、いまだかつてやったことがなかったので。

なんにも書くことがないときは脂汗が出てきますね。結局自分が体験したことを多少アレンジしながら書くんですけど、「あ、あいつまた同じこと書いてる」と思う人もいるだろうなあと。そう思いながら書いてると、まったくやる気がなくなって、ちょっと違うこと入れようか、みたいなことを思ったりするんですけど、想像力がなくて。

本当に書くことがない状態でやっているから、そうなるんですけど、そうしたときに、作家の古井由吉(ふるいよしきち 2020年2月没)さんの「書くことがなくなってからが勝負です」という言葉を思い出すんです。

春日 まえがきのタイトル(「書くことがなくなってからが勝負」)にも引かれていましたね。

末井 古井さんが言われるなら、やっぱりそうか! もう書くこと全然ないけど、ここからが勝負だと思って。自分の潜在意識を引っ張り出す、そういうかたちでやっていくしかないんだなあって思いながら書いていますね。

ただ、そのぶん、書きあがったときはものすごくうれしい。達成感――というより解放感があるんですね。そういうときはよく踊るんです、一人で。うれしくて。

そういう状態なので、春日さんとはぜんぜん立脚点が違う感じがあるんですよ。ぼくは書くことの意味というのはよくわからないです。

春日 書くことによって末井さんになにか救いが訪れるといったことはあります?

末井 あ、それはもう、読んでもらった人に面白かったと思ってもらうことです。ぼくが書いたものを誰かが読んで笑ってもらえれば最高ですね。

春日 読者のリアクションなんですね。

末井 そうですね、リアクションだけ。それが、大きな救いみたいな感じです。自分が存在してもいいんだ、っていう。

春日 承認された、というような。

末井 ええ。本当にそういう感じがしますね。もちろん、その前にぼくもチェックはしてるんですよ、書きながら。で、少し書いたら読み直して、ああこれは面白くないなあと思って書き直して、自分の基準をクリアしてから出すようにはしてるんですけど、そこまでいくのに時間がかかりますね。

読んでもらった人に面白かったと思われるとそれを認められた感じがするというか。逆に「つまんないねー」って言われたらかなり落ち込むと思います。