漏れてくる声に聞き耳を立てた。父は楽しそうに質問に答えている。どうも検査を受けている感覚がないらしい。

終了後に先生に呼ばれて、「長谷川式認知症スケール」で検査をした結果を聞いた。30点満点のところ、19点だったという。20点以下は、認知症の疑いが高いとされているそうだ。

父が認知症だと専門医に言われて、私はすごく気が楽になった。この数年間、何度となく父とケンカした。どんどん自分本位な性格に変化していく父に、私は怒ったり傷ついたりしてきた。できることなら、優しくて、ちょっとモダンで、「パパ」と呼ばれるのが似合う父に戻ってほしかった。

けれどもそれが、認知症という病気のせいだったなら、「変えよう」と思わずに「合った対応をしよう」と考えれば良いのではないだろうか。ある種の希望を持つことができた。

 

自分の時間がなくなる辛さ

認知症の父をどう支えれば良いのか、私は真剣に考えた。数年前、父の免許返納問題を警察に相談に行った時に言われたことを思い出した。

どうアプローチしたら父に免許を返納させることができるかと尋ねた私に、担当者は、これまでと同じ生活ができように、支える覚悟を持つ必要があると言った。

正直なところ、無理だと思ったのを覚えている。でも、父の年齢からすると、自宅で世話をしてあげられる時間はそう長くはないだろう。できるだけのことをやってやりたい。弟はだいぶ前に亡くなっているので、一人で頑張らなければと私は気負っていた。

小説やエッセイの執筆だけでなく、いくつかの公職もあるし、大学院にも通っている。父の家と行き来しながら仕事や勉強の時間を作るには、寝る時間を削るしかない。