イメージ(写真提供:Photo AC)

まず、朝は電話で安否確認をする。

「パパ、おはよう。元気ですか?」

娘の心配をよそに、父は同じ返事をする。

「あぁ、俺はいつも元気だ。なんで毎日電話をかけてくるんだ?」
「この間、ベッドの横で倒れていたじゃない。パパ、救急車に乗ったことを、忘れたの?」

少し考えているような間があった後、父は言った。

「救急車に乗ったことはないな」

ともあれ、無事を確認できたことに胸を撫でおろし、慌ただしく仕事をこなしてから夕飯を作りに行く。そして夜中に帰宅して、机に向かう。65歳の私には、かなり堪えるスケジュールだ。一週間ほどで息が切れてきた。

折しも、札幌は雪がどんどん降る時期だ。事故から10日後、大雪に見舞われた。駐車場周辺の除雪をしなければ、車は動かせない。これがかなり体に堪える。

へとへとになって車に乗ると、今度は大雪による渋滞で、普段は車だと十数分ほどで父の家に着くのに、片道1時間半もかかるようになってしまった。

父は自分のことは自分でできると思っているので、私が無理して行っても感謝している気配はない。ところが、私のほうが気になってしょうがなくて、毎日父の家に向かってしまう。子育てに例えて言うなら、私は父に対して過保護そのものだ。それがわかっているのに、父の世話をするのは私の役目だという、長女特有の責任感を捨てることができない。

父のケアが大変だと友達に愚痴ると、異口同音に「一人で頑張らないで、福祉の手を借りなければ」と言う。しかし、そう簡単に福祉の手を借りられるシステムにはなっていない。年末が近づいているため、居住区の介護認定審査に来てもらうのは、正月明けまで待たなければならなかった。

3時間ほどしか寝られずに朝を迎えると、外は絶え間なく降り続く雪で、一面真っ白だった。なぜか急に、涙が込み上げてきた。このままでは私がダメになる。辛い時は、辛いと言おうと決意し、私は離れて住む長男に電話をかけた。

(つづく)

◆本連載は、2024年2月21日に電子書籍・アマゾンPODで刊行されました