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人生100年時代。それは喜ばしいことばかりではありません。高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れになる可能性も。自らも前期高齢者である作家の森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづります

前回〈「俺は健康だ。介護なんて必要ない!」枯れるというより、壊れ始めている父。下着を替えず、無駄な買い物も…〉はこちら

 

思い出と共に生きている父

父に車の運転をやめさせたい。私は父の生活パターンを把握して、できる限り「運転手」としてサポートしようと考えた。スーパー、そば屋、有名菓子店の喫茶コーナー。月に2度ほどに減っているものの、スポーツクラブにも車で出かけている。

家からの距離は3km位しか離れていないが、すべてバスでは行けないところにある。なぜ、近くで買い物をしないのか。なぜ、そのそば屋でなければならないのか。車に乗らないで行けるところに変えてほしいと、私はずっと思っていた。

でも父の思いを知るにつけ、父の目的は「買い物」や「そばを食べる」「お茶を飲む」、あるいは「ジムで運動する」ことにあるのではないことに気づく。父に質問してみたり同行したりして、父が行動を変えられない理由がわかってきた。

「ねえ、パパ。近くのスーパーに歩いて行けば、運動になっていいんじゃない? どうしてそのお店でなければならないの?」

父は、一人息子の名前を口にし、寂しそうな表情を浮かべた。

「……が、務めていたからな。世話になったから、ずっとあの店に行くって決めている」