誘導係の人は、どこから見ても十分に年を取っている老人にそう言われて、さぞ困っていることだろう。その日の気温は30度を超えていて、少し歩くと汗が噴き出る。炎天下に93歳の父を歩かせたくないという、娘の配慮がわからないのだろうか。
「暑いから、歩かない方がいいよ!」
「俺は健康だ! 暑さなんかへっちゃらだ」
後ろを振り向くと、次から次へと車が来ている。入り口で止まったまま父と言い合っていると、人に迷惑をかけることになる。私は誘導係の人に謝り、駐車場の一番奥の方に移動して車を停めた。
歩き出すと父は、施設の入り口までが、思ったより遠いことにげんなりしたらしい。10メートル程歩いただけで、「まだ着かないのか?」と言い出す始末だ。面白くなさそうな顔で施設内に入った父だったが、ワクチン接種の受付で、いっぺんに機嫌が良くなった。
その理由は、身分証明書の提示を求められたことにある。父は嬉々として運転免許証を取り出し、聞かれてもいないのに得意げに説明した。
「93歳になりますけど、まだ車を運転しています。無事故無違反で、ゴールド免許なんです」
受付の人は、困惑の表情を浮かべている。
「付き添い」の札を首からぶらさげて同行している私は、「まだ返納させていないのですか?」と責められている気がして、下を向くしかなかった。